矢島進二さん

世の中にデザインを普及する

公益財団法人日本デザイン振興会(以下、JDP)で理事を務め、デザインのプロモーションに取り組む矢島進二(やじま しんじ)さん。非常勤講師として大学で講義をしているほか、企業向けのトークイベントで経営におけるデザインの役割を説いたり、経営者や新規事業担当者向けの月刊誌「事業構想」で連載を執筆したりもしている。
マルチに活動する矢島さんの来歴を、地元、杉並区井草で伺った。

グッドデザイン賞
日本で唯一の総合的なデザイン評価・推奨の仕組み。1957(昭和32)年に旧通商産業省によって創立された「グッドデザイン商品選定制度」をJDPが継承し、1998(平成10)年に再スタートした。

▼関連情報
公益財団法人日本デザイン振興会 (外部リンク)
グッドデザイン賞(外部リンク)
事業構想オンライン(外部リンク)

公益財団法人日本デザイン振興会理事・矢島進二さん(写真提供:矢島進二さん)

公益財団法人日本デザイン振興会理事・矢島進二さん(写真提供:矢島進二さん)

「グッドデザイン賞2006」の会場で撮影(写真提供:矢島進二さん)

「グッドデザイン賞2006」の会場で撮影(写真提供:矢島進二さん)

デザインとの出会い

小学校時代の図工の授業、缶飲料の模写中に筆記体のロゴの美しさに引き込まれたという。「書道をやっていたこともあり、もともと文字の形に興味を持っていました。中学生になって通信教育でレタリングを専門的に学んでいたところ、作品を見た先生がレタリング部を立ち上げてくれて、部内で学内広報誌のデザインを担当した経験もあります。高校卒業後の進路を決めるときは、美術大学や専門学校の資料も見ましたが、絵描きやデザイナーになりたいわけではありませんでした」
そこで選択したのが、日本大学法学部新聞学科だ。メディアやジャーナリズムにとても関心があったという。授業では、社会の事象を記録・摘出する視点と伝達する手段を学び、プライベートではライブやコンサート、ファッションショーや展覧会など、少しでも気になったら足を運び感性を磨いた。
卒業後は雑貨や食品を取り扱う会社に就職したが、配属先は経理部だった。なにか面白いことはないかと企画部門に出入りし顔を売っていると、2年後に引き抜かれ、店舗開発やセールスプロモーションに4年間携わった。
1991(平成3)年、求人誌に掲載されていたJDPの事業内容に魅力を感じ、転職を決めた。

「レタリング部では、ただ働きさせられていましたが、とても楽しかったです」

「レタリング部では、ただ働きさせられていましたが、とても楽しかったです」

社会の転換とグッドデザイン賞

転職した当時のJDPは、国の事業である「グッドデザイン商品選定制度(Gマーク制度)」を委託業務として運営していた。Gマークとは、1957(昭和32)年にグラフィックデザイナーの亀倉雄策さんがデザインしたシンボルマークで、グッドデザイン賞受賞の証。身の回りのさまざまな分野から、産業の発展とくらしの質を高めるデザインを見いだし、広く伝えることを目的としている。
「僕が入社した1991(平成3)年はバブル崩壊直後で、世の中の価値観が大きく変わり始めていた頃です。JDPの役割はデザインの力で社会の課題に働きかけることなので、世の中の価値観や出来事にアンテナを張ることがとても重要でした。その後も、阪神・淡路大震災や京都議定書の締結など、たびたび起こった歴史的出来事により、デザインの役割や機能が変わってきました」
1998(平成10)年にGマーク制度は民営化され、JDPの自主事業として運営し始めた。「民営化によって、グッドデザイン賞に選定した商品に対する責任とリスクを負うこととなりましたが、同時に、国の管理下では困難だった民間企業と連携した柔軟な活動が可能となりました。変わりゆく人々の価値観に合わせ、Gマークをもっと身近に感じてもらうにはどうすればよいのか議論を重ねたほか、百貨店やメディアの協力のもと、商品の購入につなげる調査・検証に多くの時間を費やしました。そのかいあって、身近な生活用品の中にもGマークが数多く見られるようになり、形や見た目、機能が優れた商品の普及に一役買うことができました」

2005(平成17)年グッドデザイン金賞のアイユニット(トヨタ自動車)をミラノの展覧会会場で操縦(写真提供:矢島進二さん)

2005(平成17)年グッドデザイン金賞のアイユニット(トヨタ自動車)をミラノの展覧会会場で操縦(写真提供:矢島進二さん)

トークイベント「LONG LIFE DESIGN TALK 2019」で賞の説明をする矢島進二さん(写真提供:矢島進二さん)

トークイベント「LONG LIFE DESIGN TALK 2019」で賞の説明をする矢島進二さん(写真提供:矢島進二さん)

「杉並区のこれからに期待が膨らみます」

1993(平成5)年から杉並区在住の矢島さん。杉並について「潜在的な力がある地域だと思います。ユニークな人やお店が多く文化的歴史もあるし、いわゆる中央線文化の中心軸にもあります。他の地域にはない特質・特性を持っているのですが、まだ点と点がつながっていない部分があり、とてももったいない。点と点がつながるためには、それぞれが積極的に関わる、あるいは第三者の協力が必要です」と語る。矢島さん自身も2015(平成27)年から区民ライターとして3年間、積極的に地域活動をしてきた。「すぎなみ学倶楽部」には杉並のアートスポットやグッズなど、主にデザイン分野に関わる記事を残している。「僕はぐうたらだし刹那主義ですが、面白い・おいしい・楽しい・美しいものへの興味や関心が絶えません。コロナ禍になる前は、興味が沸けばあまり考え過ぎず、直接会う・見る・触る・食べる・聴くを体験しに行っていました。今回、お話しして気づきましたが、僕は子供の頃から純粋さが変わってないですね」。次はどんなものに興味が沸きその好奇心がどう生かされるのか、今後の活躍にも注目したい。

▼関連情報(矢島さんが取材した記事)
すぎなみ学倶楽部 食>レストラン>cafe leaflet (カフェ リーフレット)
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並のアートスポット>BnA HOTEL Koenji
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並グッズ>すぎなみグリーンかるた
すぎなみ学倶楽部 産業・商業>記憶に残したい伝統職>根付師
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>アートスポット>ミサワバウハウスコレクション

「両親がアパートを所有していた縁で、1993(平成5)年から杉並区民です。ネコ2匹と一緒に暮らしています」

「両親がアパートを所有していた縁で、1993(平成5)年から杉並区民です。ネコ2匹と一緒に暮らしています」

区民ライターとして取材したアートスポット「BnA HOTEL Koenji」(写真提供:BnA HOTEL)

区民ライターとして取材したアートスポット「BnA HOTEL Koenji」(写真提供:BnA HOTEL)

取材を終えて

何年も前からの知り合いであると錯覚するような、柔和で人懐こい印象の矢島さん。区民ライターの先輩として、理解しやすいように言葉を選びながらかみ砕いてお話ししてくださり、デザインが身近なものだと知ることができた。矢島さんのキラキラした目を見ていると、不思議とこちらまで面白いものや楽しいものを探しに行きたくなった。

矢島進二プロフィール
1962年 東京都中野区生まれ
1985年 日本大学法学部新聞学科卒業
1991年 公益財団法人日本デザイン振興会(JDP)へ転職
2008年 東海大学教養学部芸術学科デザイン学課程 非常勤講師
2013年 九州大学大学院芸術工学府 非常勤講師
2016年 首都大学東京(現東京都立大学)大学院システムデザイン研究科 非常勤講師
2020年 武蔵野美術大学デザイン情報学科 非常勤講師

DATA

  • 取材:西荻じゅん、かじやま あや、田辺和之(区民ライター講座実習記事)
  • 撮影:西荻じゅん、田辺和之
    写真提供:矢島進二さん、BnA HOTEL
    取材日:2020年12月20日
  • 掲載日:2021年04月19日