根付師

江戸時代のストラップ-根付(ねつけ)

スマートフォンの普及によって減ってしまったが、一時は日本人の多くが携帯電話に自分の好みの小さなアクセサリーやキャラクターの小物をストラップとして下げていた。それらは「根付(ねつけ)」という江戸時代に起源を持つものであるといわれている。
当時は着物を日常的に着ていたが、ポケットがないため、たばこ入れや巾着袋、薬等を入れた印籠(いんろう)などを帯から下げて持ち歩いていた。それら下げ物が落ちないように、先端には滑り止めの留め具を結びつけていたのだが、その留め具が「根付」である。当初は石や枝など簡素な物を利用していたが、江戸中期以降、町人文化の発達とともに、象牙やつげなど素材にこだわる作品が誕生した。
「江戸文化が盛んになると、優秀な根付師が現れました。創造的な彫刻を施した根付は美術作品としても評価されるようになったので、収集する人が増えて、江戸時代後期には大流行したそうです。しかし、明治の文明開化によりポケットのある洋装の普及が一気に進んだことで、日本では根付への関心が薄れていきました。ですが、現代の文明の利器である携帯電話のストラップとして、根付がまた日本人の日常に戻ってきました。根付は日本の文化なのです。」と、根付師の黒岩さんは語る。

象牙を使った作品「思いは一緒」(写真提供:黒岩明さん)

象牙を使った作品「思いは一緒」(写真提供:黒岩明さん)

実際の根付の使われ方。アクセサリーとしても機能することがわかる(写真提供:黒岩明さん)

実際の根付の使われ方。アクセサリーとしても機能することがわかる(写真提供:黒岩明さん)

ジュエリー作家から根付師に転身

現在、日本で継続的に活動を続けている根付師は百数十名程しかいないという。その中の1人で根付師の会「国際根付彫刻会」で現在会長を務めているのが、杉並区下井草にアトリエを構える黒岩明さんだ。10代からジュエリーデザインを学び、25歳で独立。40歳を過ぎてから軽い気持ちで根付を制作したが、思うような作品ができなかったそうだ。そのような折に、根付界のリーダーである駒田柳之(りゅうし)さんと展覧会で出会い、そのまま弟子入りをして本格的に根付を学ぶことになった。黒岩さんは転身の理由を「根付はジュエリーと比べて素材が多様で、さまざまな技術が使え、ストッパーとしてヒモが通ることを除くと創作的にはとても自由である点に魅了されました。」と語る。

根付師で国際根付彫刻会会長の黒岩明さん

根付師で国際根付彫刻会会長の黒岩明さん

根付の素材、題材、魅力

根付の素材は、象牙や鹿角(かづの)など動物の牙や角、つげなどの木材、金や銀等の金属のほか、陶器やガラス、石、漆など、多彩な種類が今でも使われている。黒岩さんは象牙や漆などを用いた伝統的な技巧を追求しつつ、ジュエリーで会得した彫金の技術や、これまでの作家が使用しなかったエポキシ樹脂(※)等の新素材も積極的に取り入れている。また、題材に動物や人物、魚、昆虫といった昔ながらの物だけでなく、ピアノや野球のグローブ、スロットマシンなど現代物を扱っているのも黒岩さんの特徴だ。
「座右の銘はローリング・ストーン(転がる石には苔が生えない。いつもフレッシュな気持ちでいること)。自分の作りたいものを作っているため、伝統、斬新、かれん、コミカルといった具合に与える印象はさまざまかもしれませんが、どれもが自分の表現です。物にもよりますが、1つの作品を完成させるのに1ヶ月はかけています。漆を使った作品だと半年がかりになることもあります。」根付制作は非常に時間と手間がかかる手仕事である。
また、根付の最大の特徴は「ひも通し穴」が必ずあることだ。穴がないのは置物となり、明確に根付とは区別される。そして、着物に付ける装飾品として、多くの人の目に触れることが前提のため、底面を含め立体のどこから見ても楽しめるのも根付の魅力だ。黒岩さんは独自の作風で現代のテーマにあった作品を作り続けている。

※エポキシ樹脂:電子部品などで使われている強力な接着力をもつ樹脂

作品名「福と成す」、素材は象牙、サイズは縦2.8×横4.4×高さ2.4cm(写真提供:黒岩明さん)

作品名「福と成す」、素材は象牙、サイズは縦2.8×横4.4×高さ2.4cm(写真提供:黒岩明さん)

作品名「夢は?」、素材は象牙、サイズは縦2.8×横4.4×高さ2.4cm(写真提供:黒岩明さん)

作品名「夢は?」、素材は象牙、サイズは縦2.8×横4.4×高さ2.4cm(写真提供:黒岩明さん)

作品名「愛の叫び」、素材は象牙、サイズは縦2.5×横2.6×高さ3.7cm(写真提供:黒岩明さん)

作品名「愛の叫び」、素材は象牙、サイズは縦2.5×横2.6×高さ3.7cm(写真提供:黒岩明さん)

海外でも“Netsuke”と呼ばれ人気は高い

黒岩さんのアトリエで、イギリスなど海外で開催された根付の展覧会の図録を多数見せてもらった。
海外での根付人気の歴史は古く、明治時代には浮世絵と同様、根付専門の海外コレクターが出現し、数々の作品が海を渡るようになった。今でも欧米の美術関係者内では“Netsuke”という言葉が通じ、イギリスの大英博物館やヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、アメリカのボストン美術館など、世界中の博物館で収蔵されるほど根付は高い評価を得ている。江戸時代の作品が、オークションのサザビーズで数千万円の値がついたこともあったそうだ。しかし、象牙を素材に使った作品は、1989(平成元)年のワシントン条約締結によって、展覧会に出品する目的であっても海外への持ち出しが一切できなくなった。

左刀(ひだりば)という専用の彫刻刀を使い鹿角を緻密に彫っていく

左刀(ひだりば)という専用の彫刻刀を使い鹿角を緻密に彫っていく

黒岩さんの指先から全ての作品が生まれていく

黒岩さんの指先から全ての作品が生まれていく

根付の普及のために

「日本発の独自文化である根付の魅力を、ぜひ多くの人に知ってほしい。」と語る黒岩さん。制作だけでなく、そのための社会活動も積極的に行っている。
黒岩さんが現在会長についている国際根付彫刻会は、彫刻技術情報のオープン化や社会における根付の地位向上を目標として1977(昭和52)年に創設された。以来、自主的な勉強会などを開催している。また黒岩さんは、朝日カルチャーセンターやNHK文化センターなどで定期的に根付の制作方法を教えている。中には十数年通い続ける熱心な生徒やプロになった人も多数輩出するなど、 次世代への継承にも一役買っている。
根付の実物を見てみたい人には上野にある東京国立博物館がおすすめだという。ここでは高円宮妃久子殿下が寄贈された故高円宮殿下の根付のコレクションが、本館の「高円宮コレクション室」に展示されている。京都にある清宗根付館も見ごたえがある。こちらは、2007(平成19)年に開館した根付専門の美術館で、4,000点を超えるコレクションの中から約400点の作品を常設展示している。
全国の百貨店でも毎年のように黒岩さんの作品を含めた根付の展覧会が開催されているので、興味を持たれた方はぜひ作品を見に行き、その魅力に触れてほしい。

作品名「梅月夜」、素材は鹿角、サイズは縦2.5×横2.4×高さ7.2cm(写真提供:黒岩明さん)

作品名「梅月夜」、素材は鹿角、サイズは縦2.5×横2.4×高さ7.2cm(写真提供:黒岩明さん)

どれも黒岩さん自作の彫刻刀

どれも黒岩さん自作の彫刻刀

DATA

  • 最寄駅: 下井草(西武新宿線) 
  • 公式ホームページ(外部リンク):http://www7b.biglobe.ne.jp/~netuke/
  • 出典・参考文献:

    『根付作家シリーズ 根付作家 明の世界』(京都 清宗根付館)
    『手のひらの小宇宙 第20回記念現代根付展』(横浜高島屋美術部)

  • 取材:矢島進二
  • 撮影:矢島進二、作品写真提供:黒岩明
  • 掲載日:2016年02月22日