飯沼金太郎さん 4.【証言者】小暮達夫さん

航空史研究家、小暮達夫さん

杉並に生活の基盤と航空養成学校の拠点を置き日本民間航空界の人材育成に多大な貢献をした飯沼金太郎。その飯沼について、15年以上に渡り研究を続けている航空史研究家の小暮達夫さんに、飯沼研究に至るまでの経緯と人物像について話を伺った。

小暮達夫さん

小暮達夫さん

初めて知った飯沼金太郎

私は子供のころから飛行機が好きで、そのことを知っていたかつての上司に「妙経寺(※)に面白いお墓があるから行ってみな。」と言われたのです。それが飯沼金太郎を知るきっかけでした。
お寺に行くと、広い外柵の中に随分大きなお墓があり、そこが飯沼家の墓所でした。「航空 飯沼金太郎の墓」とあったのですね。その「航空」の文字を見て「あっ、これだ」と思いました。
航空については、かなり知っていると自負していましたが、航空に関わっていた佐倉市出身の飯沼金太郎を知らないということは、ちょっと恥ずかしいと思いましたね。しかし、当時はインターネットが普及していなかったので簡単に調べようがなかったのです。

※妙経寺:佐倉市弥勒(みろく)町にある寺

凄いことをやった人だ

その思いを持ち続けていたころ、たまたま芝山(千葉県山武郡芝山町)にある航空科学博物館の図書室で、航空関係の本を見ていました。偶然手にした『日本民間航空史話』をパラッとめくると、出発直前の飛行機の横に人物の写真があって、それが飯沼金太郎だったのですよ。初めて飯沼が大正期のパイロットだということが分かりました。それからは調べが進み、これほど民間航空界で活躍した人物を、もっと郷土に紹介したいという気持ちが強くなってきましてね。それには、飯沼家のご家族にお会いすれば、もっと詳しいことが分かるのではないかと思ったのですよ。

1934(昭和9)年、コロンビアレコードで亜細亜航空学校校歌が録音された。写真は、大谷家でテープに保存されていた校歌を小暮達夫氏がCD化したもの

1934(昭和9)年、コロンビアレコードで亜細亜航空学校校歌が録音された。写真は、大谷家でテープに保存されていた校歌を小暮達夫氏がCD化したもの

そこで、妙経寺のご住職にお願いし、ご長男の飯沼陸彌(むつや)さんとお会いできました。睦彌さんからは当時のことに詳しい人を紹介してもらい、その方から貴重なお話と資料を見せていただくことができたのです。それからは、飯沼が墜落した現場の近くや、飯沼金太郎商店、亜細亜航空機材研究所、亜細亜航空機関学校、洲崎飛行場の跡地を訪ね、資料探しに国会図書館などにも行きました。いろいろ調べていくと、凄いことをやっていた人だということが分かりましたね。

現在の洲崎飛行場跡地(写真提供:小暮達夫さん)

現在の洲崎飛行場跡地(写真提供:小暮達夫さん)

顕彰碑建立と講演会で発表

それまでに調べたことを取りまとめた『ひとすじのヒコーキ雲』を、睦彌さんにお見せしたところ、「ここまでよく調べて書いてくれた」と大変喜んでいただけましたね。しばらくして睦彌さんのご希望で、私が以前にお贈りした絵を陶版画にしてはめ込んだ顕彰碑(けんしょうひ)を2007(平成19)年に建立することになりました。陶板画には、飯沼が東京・大阪間無着陸周回飛行に挑戦した「在米同胞号」に搭乗し、飛行する勇姿が色鮮やかに描かれています。
その後も調べを進めて取りまとめたのが、2014(平成26)年日本航空協会機関誌「航空と文化」に掲載され、講演でも発表した「空のパイオニア・飯沼金太郎と亜細亜航空学校」という論文です。その講演で、飯沼金太郎さんのご長女の大谷妙子さんにお会いできました。大谷さんとは講演を機会に貴重なお話しを聞かせていただき、また資料を見せていただき大変参考にしております。これからの調査研究に活かしたいと思っています。

飯沼金太郎の墓と顕彰碑

飯沼金太郎の墓と顕彰碑

杉並は、国内有数の民間航空界人材育成の活動拠点だった

飯沼の人生は決して順風満帆ではありませんでした。時には墜落事故で生死の境をさまよい、苦労して設立した学校も戦争のために閉鎖を余儀なくされたのですから。しかし、生涯を通じて飛行機を愛し、飛行機と共に生きた魅力ある人物です。
その飯沼は杉並に住み、活動の拠点を区内に置いて、日本民間航空の人材育成に多大な貢献をしました。ぜひ、飯沼とその業績を杉並区の皆さんにも知っていただきたいと思います。

愛車に腰掛ける飯沼(写真提供:大谷妙子さん)

愛車に腰掛ける飯沼(写真提供:大谷妙子さん)

小暮達夫 プロフィール

千葉県千葉市在住の航空史研究家。
飯沼金太郎の研究については国内における第一人者。千葉県佐倉市勤務で、公務のかたわら航空史の研究を続けている。
2014(平成27)年5月19日開催、日本航空協会主催の航空と宇宙・第263回定例講演会『空のパイオニア・飯沼金太郎と亜細亜航空学校』の講師として講演。

著作
『ひとすじのヒコーキ雲―飯沼金太郎の生涯―』 私家版及び佐倉市教育委員会発行誌掲載 2001年
『空のパイオニア・飯沼金太郎と亜細亜航空学校』 日本航空協会機関誌AIRFORUM 航空と文化・2014夏季号

DATA

  • 取材:佐野昭義
  • 撮影:佐野昭義
  • 掲載日:2015年11月30日
  • 情報更新日:2023年04月01日