犬田卯さん

農民文学運動に生涯をささげる

犬田卯(いぬた しげる 1891-1957)は、茨城県稲敷郡牛久村(現牛久市)の半小作農家に生まれ育った。高等小学校卒業後、農業に従事。兵役を経て再び農業に従事するが、文学を志し1915(大正4)年に出奔。上京して出版社「博文館」に勤務する。その頃、自身をモデルに、地主小作制度、農村の貧困、農民の無知といった状態に立ち向かおうとする青年を主人公とした小説(『土にあえぐ』『土にひそむ』『土に生れて』の三部作)を執筆した(三部作は、後年出版された)。1919(大正8)年、雑誌「農業世界」に書いた農地解放の評論が筆禍事件(※1)になり、退社。小説家の住井すゑと結婚し、執筆活動に専念する。
大正期の小説は、インテリが都市生活者を描いたものが大半で、農民を描いた作品は皆無に近かった。その中で犬田をはじめ、農民自らが農民を描く運動を広げなくてはならないという考えをもった人々が集まり、1924(大正13)年に農民文芸研究会(※2)を結成した。農民文芸研究会は1927(昭和2)年、機関誌『農民』を創刊(創刊時の発行部数は5,000部)。同人の作品のほか、農民通信欄を設け全国の読者から寄せられた声も掲載した。その間、犬田は1925(大正14)年に一家で杉並町成宗(現杉並区成田東)の貸屋に転居し、そこで10年間暮らしている。

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犬田卯(写真提供:牛久市教育委員会)

犬田卯(写真提供:牛久市教育委員会)

「土からの文学」で「土の社会」を目指す

『農民』は、一時、農民自治会(※3)が発行元となるなど変遷するが、一貫して犬田を中心に出版された。
犬田は、農民文学運動についての考え方を「土からの文学」「土の芸術」「土の社会」という言葉で表現した。「現在の多くの百姓は土を愛すること、土を耕して本当に生きることを妨げられ遮られている」(『土に生く』より)。農民が自らを描くことで自己を啓発し、本当に生きることを取り戻し、理想社会(※4)を目指す啓蒙(けいもう)主義運動の立場をとっていた。その一方で地主小作制度を激しく批判しながら小作人解放の主張を展開する一面もあり、『村に闘う』『新興農民詩集』など、いくつかの作品が発禁処分となった。しかし、経済闘争に重きを置いていた日本プロレタリア作家同盟の農民文学運動とは一線を画して対立し、次第に少数派となっていった。
1932(昭和7)年より『農民』は犬田の家が発行所であったが、発禁処分となり、1933(昭和8)年に廃刊に追い込まれる。経済的困窮、持病のぜんそくの悪化、また戦争の時代へと向かう情況をみて、郷里で自給自足の生活をしながら執筆を続ける決意をし、1935(昭和10)年、成宗から牛久(※5)に戻る。牛久では闘病しながら『日本農民文学史』などを執筆。没後、すゑとの手記が『愛といのちと』として、また関係者の尽力で『日本農民文学史』が出版された。

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『日本農民文学史』(農山漁村文化協会)

『日本農民文学史』(農山漁村文化協会)

成宗の峠の家

犬田が農民文学運動に没頭した成宗の家は、現在の都立杉並高校から北へ丘陵地を上った辺りにあった。二女で、後にジャーナリストとして活躍した増田れい子は「小さな庭のある借家であった」「私の生まれた家は坂道の峠にあたる部分に面していて、幅三メートルほどの砂利道はだらだらと下がって小流れをはさむ田んぼみちにつながり…」(『母 住井すゑ』より)と回想している。
犬田の農民文学運動には、運動の当初から親交のあった中村星湖、石川三四郎をはじめ、江渡狄嶺、下中弥三郎、小川未明、高群逸枝など、杉並ゆかりの人々も数多く関係しており、交流があったことがうかがえる。
犬田は自身の日常生活は書き残しておらず、素顔は不明だが、増田は「父が何もしなかったように誤解されてはいけないので、一筆しておくと、父は家中みんなの散髪係りであった」「おやじさんはうそのうの字もつけない」(『住井すゑの世界』より)と、娘からみた父親について書き残している。

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※1 筆禍(ひっか)事件:書いた文章が、出版法に基づく検閲制度により、罰金、発禁などの処罰を受けること
※2 農民文芸研究会(農民文芸会に改称):1922(大正11)年、フランスの作家、シャルル・ルイ・フィリップ十三周忌記念講演会を機に結成された「フィリップ友の会」「大地の会」を継承し、犬田卯、吉江喬松、中村星湖、石川三四郎らによって結成された。後に、和田伝、加藤武雄などが参加した。『農民文芸十六講』を出版、農民文学理論を確立した
※3 農民自治会:1925(大正14)年、下中弥三郎、石川三四郎、中西伊之助、渋谷定輔らによって結成された農民団体。農耕土地の自治的社会化、生産消費の組合的経営、農村文化の自治的建設、非政党自治制の実現を掲げ、市町村を単位とし県連合、全国連合を形成。全国で運動を展開した。外からの弾圧と、内部分裂(啓蒙主義派と経済闘争派)により、結成から3年後に解散に至った。杉並では、高井戸町の各所で、講習会や委員会が開催された記録が残っている
※4 理想社会とは「他人の労働の成果を盗まず、また盗まれもせず、全人類が共働して生きて行く社会」(『愛といのちと』より)
※5 牛久の家は「抱撲舎」(茨城県牛久市城中町77)として保存されている

犬田卯、住井すゑ夫妻と子供たち。成宗の家での記念写真(写真提供:牛久市教育委員会)

犬田卯、住井すゑ夫妻と子供たち。成宗の家での記念写真(写真提供:牛久市教育委員会)

犬田卯一家が暮らした界隈(かいわい)の現在の様子

犬田卯一家が暮らした界隈(かいわい)の現在の様子

DATA

  • 出典・参考文献:

    『日本農民文学史』犬田卯著・小田切秀雄編(農山漁村文化協会)
    『日本プロレタリア文学集・11』(新日本出版社)
    『愛といのちと』犬田卯・住井すゑ(新潮文庫)
    『犬田卯の思想と文学:日本農民文学の光芒』安藤義道(崙書房)
    『住井すゑの世界』前川む一編(解放出版社)
    『母 住井すゑ』増田れい子(海竜社)

  • 取材:井上 直
  • 撮影:写真提供:牛久市教育委員会
  • 掲載日:2021年06月21日