林漢傑さん 鈴木歩さん

囲碁との出会い、その魅力とは?

彗星のように現れた将棋界の新星、藤井聡太七段。囲碁界の雄、井山裕太棋聖と将棋界のトップ羽生善治竜王が共に国民栄誉賞を受賞するなど、今、囲碁、将棋界に目が離せない。杉並区にも囲碁に打ち込むプロ棋士がいると知り、林漢傑(りんかんけつ)八段と鈴木歩(すずきあゆみ)七段夫婦に話を伺った。
漢傑さんは台湾の出身。5歳の時、父親に近所の囲碁教室に連れて行かれたことが囲碁との出会いだった。「父の目的は兄に囲碁を習わせるためでしたが、付いて行った私にも教室の方が“君はただでいいから一緒に習わないか?”と言ってくれたのです」。そして半年後、漢傑少年は子供大会で優勝する。6歳の時、父親の仕事の関係で大阪に移り住んだが、そこでも囲碁を続け、才能を見込まれて、関西棋院の院生(※1)となる。しかしその時はプロになることなど考えてもいなかった。その後、台湾に帰国するが、囲碁の勉強のため環境の整った日本に住まいを移し、14歳で日本棋院の院生となる。プロになるのを決意したのは、院生時代に調子が良く連勝した時だ。
一方、阿佐谷出身の歩さんも同じく5歳の頃、アマチュア三段の父親の影響で囲碁を習い始めた。歩さんは他に水泳、バレエ、英語、ピアノを習い、学習塾にも通っていたが、14歳で日本棋院の院生となり、現在は女流棋士として活躍している。井山裕太棋聖がプロになりたてのころに対局で勝ったこともあるそうだ。
親の影響によりそれぞれ囲碁を始めた二人だが、囲碁に夢中になり、棋士を仕事に選んだ。囲碁の魅力について、漢傑さんは、「第一にスケールが大きい。囲碁は同じ状況が二度現れることはなく、スタートから10手ほど進むだけで過去に経験したことのない未知の世界に突入するので、いつも新鮮な気持ちで一局を打てます。第二に勝負の駆け引きが面白い。大局観(※2)、読み、判断力、すべてのレベルが高くないと上には行けない。逆に一局の中でこれらがうまくはまって勝った時の快感はなかなか言葉にできません」と話す。歩さんも「対局で最善の手がひとつだけとは限らず、どの手を選択するかは十人十色で個性が出る。考え方がいろいろあり、人生に似ているようで面白い。とても奥深いゲームです」と語ってくれた。

※1 院生:囲碁の専門家で構成する団体である棋院に籍を置く者
※2 大局観:物事の全体の動き、形勢についての見方、判断。囲碁や将棋ではある局面における優劣の判断

自宅の前で

自宅の前で

出会い、結婚

同学年の二人の出会いは日本棋院の院生のころにさかのぼるが、20歳を過ぎるまで互いを意識することはなかったという。師匠の研究会などの後、参加者で食事をする機会が度々あり、話すうちにだんだんと打ち解け、自然と結婚に至った。
院生のころのお互いの印象を聞いてみると、「彼は有望で、エリートでした」(歩さん)、「彼女は女流として多くのタイトルを取っていた」(漢傑さん)と語り、互いに尊敬する間柄であったことがうかがえる。漢傑さんが、パートナーとして同じ棋士を選んだ理由の一つに「囲碁に絶対プラスになる。一緒に研究できる」と思ったことがあるそうで、「実際付き合って成績も良くなった」と言う。歩さんは「目標が同じだから、一緒に切磋琢磨(せっさたくま)し、モチベーションを常に持ち続けることができます」と話す。負けた時や対局前にそっとしておいてくれるなど同じ棋士ならではの心遣いもあるようだ。二人は2014(平成26)年、「日本棋院90周年記念夫婦棋士囲碁トーナメント戦」で優勝している。

子供の頃の漢傑さん(写真右)<br>写真提供:林漢傑さん

子供の頃の漢傑さん(写真右)
写真提供:林漢傑さん

子供の頃の歩さん<br>写真提供:鈴木歩さん

子供の頃の歩さん
写真提供:鈴木歩さん

家族に支えられて

対局で負けた悔しさから4時間も歩いて帰宅したこともあるという漢傑さんだが、「10代、20代前半は勝つことだけにこだわっていました。しかし二人の娘の父親になり、広い視野で碁盤を見ることができるようになりました」と話す。歩さんも、「結婚前は、対局のあと家に帰ってもアドレナリンが出続け、眠れない夜もありましたが、今は子供の顔を見ると自然にスイッチがオフになりリラックスできます」と語る。歩さんに、棋士と母親との両立や棋士としての心意気について聞くと、「疲れを引きずらなくなって精神的には楽ですが、肉体的にはきついですね。でも、娘たちに囲碁をやっているお母さんはかっこいいと思ってもらえるような生き方がしたい。職業としてだけでなく、人として恥ずかしくない姿を見せたい」と頼もしい答えが返ってきた。家族の存在が棋士としての二人の精神的な支えとなっているのがわかる。

和気あいあいとインタビューに答える二人

和気あいあいとインタビューに答える二人

阿佐谷に住んで

「ゴルフ以外のスポーツは大体やっています。ボルダリングもします」。囲碁はずっと座っているイメージがあるが、漢傑さんはいろいろなスポーツをこなす。「棋士には多くのアウトドア派がいる」と聞いたのも意外だった。二人が住む阿佐谷周辺は都立善福寺川緑地、松ノ木運動場などがあり、身近にスポーツを楽しむ環境がある。関東の「本当に住みやすい街大賞2017」(民間企業調査)で南阿佐ケ谷が1位になったことについて聞くと、「住み心地は最高ですね。公園は多いし、近くに杉並児童交通公園もあり、子育てにはもってこいの場所です。またJR総武線、東京メトロ丸ノ内線、京王井の頭線、路線バスも利用でき、何しろ交通の便が良い」と言う漢傑さん。ひいきの飲食店も多数あり、「中国名菜 孫」「阿佐ヶ谷 けやき庵」「銀だこ」のほか、「パンの田島」のコッペパン、「ゴンチャビーンズ阿佐ヶ谷店」のパールミルクティーなど、次々とお気に入りのメニューが挙がる。歩さんも生粋の阿佐谷っ子なだけあって、地域に詳しい。「おそばが好きなんですが、おいしいお店がいっぱいあるし、お土産に“うさぎや”のどら焼きはとても喜ばれます」と、夫婦で阿佐谷を気に入っているようだ。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 食>レストラン>中国名菜 孫
すぎなみ学倶楽部 食>ベーカリー>阿佐ヶ谷 けやき庵
すぎなみ学倶楽部 食>スイーツ>うさぎや

都立善福寺川緑地

都立善福寺川緑地

「中国名菜 孫」

「中国名菜 孫」

囲碁の未来

『レジャー白書』によると、日本の囲碁人口は1981(昭和56)年の1200万人をピークに年々減少し、2007(平成19)年には240万人まで激減、2016(平成28)年には200万人まで落ち込んでいる。しかし囲碁の世界でも、AI(人口知能)の研究は進み「AlphaGo」などを代表とするコンピューター囲碁ソフトの飛躍は目覚ましい。2017(平成29)年に行われた「囲碁世界戦ワールド碁チャンピオンシップ」3・4位決定戦で、「DeepZenGo」が井山裕太九段を破ったことは注目されたが、その「DeepZenGo」が引退するなど、囲碁界の変化は速い。
インタビュ―では夫妻の子供たちへの囲碁の普及の熱い思いも伝わってきた。2016(平成28)年と2018(平成30)年には区立東田小学校の総合学習で、夫妻は児童にゼロから囲碁を教えたが、飲みこみが早い児童たちの様子に上達への手ごたえを感じたそうだ。「囲碁はマナー、集中力、思考力が自然と身につき、物事を論理的に考える力が培われます。また、囲碁を途中で止めたとしても、そうして身についた何かが残ります」。

取材を終えて
汗ばむような陽気の中、次女と共に出迎えて下さった二人は、その日の陽気そのもののように明るく若さがみなぎっていた。質問を重ねる中、二人の思いやりに満ちた絶妙な言葉のやり取りに理想の夫婦の姿を垣間見た気がした。歩さんによると、囲碁を始めるのは5、6歳がベストだそうだ。阿佐谷、荻窪周辺には、「洪(ホン)道場」「岩田囲碁子供教室」など、幼児~小学生向けの囲碁教室がいくつかあり、見学も可能だ。二人の今後の活躍を心から応援するとともに、杉並区から棋士が次々と誕生することを期待したい。

林漢傑 プロフィール
1984年3月22日生。台湾出身。林海峯名誉天元門下
2000年入段、同年二段、01年三段、02年四段、03年五段、05年六段、10年七段、18年八段
日本棋院東京本院所属
主な著書:『美の有段詰め碁100』上・下巻(日本棋院)

鈴木歩 プロフィール
1983年9月23日生。東京都出身。岩田一九段門下
2001年入段、同年二段、02年三段、07年四段、10年五段、11年六段、16年七段
2013年囲碁棋士の林漢傑と結婚。14年長女誕生、17年次女誕生
日本棋院東京本院所属

対局が始まると顔が真剣に

対局が始まると顔が真剣に

漢傑さんの著書

漢傑さんの著書

DATA

  • 出典・参考文献:

    『レジャー白書』(日本生産性本部)

  • 取材:堀 由起子
  • 撮影:TFF
    写真提供:林漢傑さん、鈴木歩さん
  • 掲載日:2018年08月13日