渡邉高博さん

バルセロナ・オリンピアン(※)の今

瀬戸内海に面する愛媛県新居浜市、その山の麓で生まれ育った渡邉高博さん。小学校6年間は地元サッカーチームに所属し、中学校1年生から陸上競技に打ち込んだ。1992(平成4)年、400mと、4×400mリレーでバルセロナオリンピックに出場。現在はパーソナルトレーナーとして、プロ野球、Jリーグ、プロゴルファー等のスポーツ選手や各種目のオリンピック選手、ダンサーや俳優などを対象に、幅広く活躍中だ。現在は西荻窪在住で、区では主に小学生対象の「かけっこ教室」の指導者を務める。わかりやすい教え方に定評があり、多くの子供たちを運動会のスターにしている。

※オリンピアン:オリンピック選手

渡邉高博さん

渡邉高博さん

陸上を始めたきっかけ

「中学1年のスポーツテストで成績がよかったんです。1500m、5分を切ってました。」中学校でもサッカー部に所属していたが、1年生は試合に出られなかった。陸上部は1年生でも試合に出られる種目があり、夏の全国大会に出場したことが陸上を始めるきっかけになった。大会では1500mで予選敗退したが、サッカーがやりたくてすぐにサッカー部に戻ってしまった。
だが、周りの人たちは逸材を見逃さない。渡邉さんが高校の陸上部の練習に加われるように環境を整えてくれたのだった。放課後、高校の体育の大塚先生の元へ自転車を走らせて部活に合流。部活終了後も練習を続ける渡邉さんに、大塚先生は伴走してくれた。
一方、両親も渡邉さんの体力向上には大きく貢献している。「母には、中学高校と毎日、卵や山芋いろいろ混じって見た目は茶色、みたいなジュースを中ジョッキ一杯飲まされました。」また、幼稚園の頃のこと、父親は仕事から帰ってくると、雨の日以外は毎日、自宅から祖母の家までの往復を渡邉さんと一緒に走っていたという。つい先日、その道のりを測ったところ、ちょうど5kmだったそうだ。父親は、死ぬまで渡邉さんを褒めたことがなかったというが、ある時、35年ぶりに会った小学校当時のサッカーのコーチから、父親が「陸上選手に育てたいから、とにかく走らせてくれ。」と頼んでいたことを聞かされ、父親の思いを知ったと話す。

子供の頃。前列中央が渡邉さん(写真提供:渡邉高博さん)

子供の頃。前列中央が渡邉さん(写真提供:渡邉高博さん)

オリンピックを目指して

「トラック1周だけ走ればいいからという理由で、1500m走より400m走を選んだ。」と言う渡邉さん。1988(昭和63)年、当時の高校新記録46秒37を樹立し、目標だったオリンピック出場が射程に入る。そして1992(平成4)年、22歳の時、オリンピック最終選考会の日本選手権に挑むことになった。ライバルとして前年度に日本記録をマークした高野進さんが立ちはだかる。ゴールを切った2人の記録は45秒81、同着だった。判定で渡邉さんは2位で通過し、バルセロナオリンピック日本代表に決まった。
ところが、オリンピックの切符を手にした途端に気がぬけてしまい、「まったく走るモチベーションがなかった。」五輪本番は予選で敗退したが、その時のユニフォームは今も手元にある。
その後、実業団で800mへの転向を勧められ、アメリカに留学。各国からの選手が集まるキャンプに参加したものの、そこで知ったのは圧倒的な実力の差だった。同じことを同じ量だけ練習しても勝負にならないことを痛感し、帰国する。

バルセロナ五輪日本代表ユニフォームを持った腕の筋肉に注目

バルセロナ五輪日本代表ユニフォームを持った腕の筋肉に注目

子供のひらめきを大切に

30歳で、競技者から指導者へ大きく舵を切り、理論を学び、研究と実践を重ねた。現在は母校の早稲田大学などで指導している。「日本人は出発点がマイナスにある。世界の競技者と並ぶと、筋肉の質や骨格の角度も違うため、体の土台と伸びしろをいかに作るかが課題。」と渡邉さん。世界ジュニア選手権で活躍した選手がシニアになると伸び悩むケースが多いことから、年齢に応じ、それぞれに合った練習に重きを置くようにしている。しかし、学生や日本代表クラスに教えていると、自分の教えたことが伝わらないなど、どうしても指導に行き詰まることがある。
そんな中、杉並区立桃井第一小学校から、体育の研究授業指導の声がかかった。教えてみると、「子供が何を言っているのかわからない。こちらも説明できない。」小学生へのアピールの仕方を誤ってそっぽを向かれ、子供たちは授業についてきてくれなかった。渡邉さんは、子供に教えることに苦手意識を持ってしまったが、授業が終わると校長先生は時間配分や取り組みについて評価してくれた。
その後、下高井戸運動場で開かれる「かけっこ教室」の指導者となった。一般に、興味のないことに対する小学生の集中力の持続時間は、最も短い児童で約6分間といわれる。「話をよく聞いていると足は速くなるよ。」と声をかけると、子供の反応が変化し、実際に速く走れるようになってくる。「あの時の教え方がよかったからだ。」と、指導の成果を実感できるようになった。今では子供の直感的なひらめきを大切にし、良い結果が得られた点を日本代表クラスの指導にも応用している。
「かけっこ教室」は現在も好評。渡邉さんは運動会前になると毎日、杉並区内に限らずどこかの小学校や中学校へと駆け回っている。

「かけっこ教室」の子供たち。中には速くなりたくて、こっそり申し込む子供もいるそうだ(写真提供:杉並区スポーツ振興財団)

「かけっこ教室」の子供たち。中には速くなりたくて、こっそり申し込む子供もいるそうだ(写真提供:杉並区スポーツ振興財団)

父親や大塚先生が教えてくれたように、子供だけでは解決できないことを解決するために一緒に走る(写真提供:杉並区スポーツ振興財団)

父親や大塚先生が教えてくれたように、子供だけでは解決できないことを解決するために一緒に走る(写真提供:杉並区スポーツ振興財団)

未来のオリンピアンへ

「未就学児は特に先入観がないので上達も速い。自分自身の経験から“5㎞は走れる”を目安に、運動を重荷に感じず長いスパンで楽しんでもらえるよう、かけっこで運動嫌いを減らすことが課題。」と語る渡邉さん。走ることは他の競技にも応用が利き、速く走るための思考は判断の速さにもつながるという。「済美山運動場(東京都立和田堀公園第二競技場)のようなところをどんどん活用すると良いと思う。練習することで走る喜びがわかる。」
2020年、東京オリンピック・パラリンピックが開催される。ロンドンオリンピックを観客として見た渡邉さんが目にしたのはお祭りそのもの。街には人々の熱気と活気があふれ、陸上競技はお祭りの一部にすぎないとさえ思えたそうだ。「東京オリンピックでも楽しみを全身で受け止めてほしい。」そして、渡邉さんはさらに次を見据えている。「かけっこ教室」からオリンピアンが誕生する日も近いかもしれない。

取材を終えて
「今はこの環境に感謝しています。」と話す渡邉さん。取材時は2016年6月29日、ようやく骨折が治ったばかりの足で、済美山運動場へ来てくれた。父親になって2年目。善福寺公園へお子さんについて行き、とことん遊びにも没頭しているという。インタビュー後、取材陣に姿勢がよくなる簡単なストレッチ講座をしてくれた。35歳を超えてからも身長が2㎝伸び、現在187㎝。心身ともに伸び続ける人のようだ。

渡邉高博 プロフィール
1970年、愛媛県出身。西荻窪在住。元日本陸上競技連盟強化コーチ。
早稲田大学在学中、バルセロナオリンピック4×400mリレーに出場。400m自己ベストは45秒71。
大学卒業後、NEC、コナミスポーツを経て、35歳でパーソナルトレーナーに転身。現在、渡高株式会社代表取締役。早稲田大学競走部コーチ。杉並学院中学高等学校非常勤講師。一般社団法人日本イージーエクササイズトレーナーズ協会理事。「かけっこ教室」での指導や指導者の育成に携わる。
瞬時に動ける角度を意識した「瞬間的スピード走法」、ケガ予防も期待される「膝サポート走法」を考案。それぞれの課題に即した研究を重ねている。

「ケガを恐れず練習に全力を尽くし、回復を大事にしたらよいと思う。」現役を退いてからも、膝下の骨の太さとふくらはぎの発達は衰えないという

「ケガを恐れず練習に全力を尽くし、回復を大事にしたらよいと思う。」現役を退いてからも、膝下の骨の太さとふくらはぎの発達は衰えないという

即席のストレッチ講座中。にこやかだが、渡邉さんの目は鋭い。ちょっとした指の組み方の違いも丁寧に指導してくれる

即席のストレッチ講座中。にこやかだが、渡邉さんの目は鋭い。ちょっとした指の組み方の違いも丁寧に指導してくれる

DATA

  • 公式ホームページ(外部リンク):http://www.watataka.co.jp
  • 取材:相良 実和子(区民ライター&区民カメラマン講座実習記事)
  • 撮影:有野 俊一、アズマリン(区民ライター&区民カメラマン講座実習記事)
    写真提供:渡邉高博さん、杉並区スポーツ振興財団
  • 掲載日:2016年09月20日