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谷川徹三さん

1956(昭和31)年、成田東にある自宅の庭で。左から谷川徹三、多喜子、俊太郎(写真提供:谷川俊太郎事務所)

1956(昭和31)年、成田東にある自宅の庭で。左から谷川徹三、多喜子、俊太郎(写真提供:谷川俊太郎事務所)

宮沢賢治の研究家としても知られる哲学者

詩人・谷川俊太郎の父、谷川徹三(たにかわ てつぞう 1895-1989)は、芸術・文学評論、平和活動など多彩な分野で活動した哲学者である。
文学評論では宮沢賢治の研究・紹介に尽力し、著作『宮沢賢治の世界』『宮沢賢治詩集』の編さん・解説を通じて、宮沢賢治がポピュラーに読まれるようになったきっかけをつくったといわれる。芸術への造詣も深く、卓越した鑑賞眼による評論・随筆を著し、1975(昭和50)年に日本芸術院会員になった。柳宗悦らの民藝運動(※1)の支援者としても知られている。また、帝室博物館(現東京国立博物館)次長、法政大学総長などを歴任し、1987(昭和62)年に文化功労者として顕彰された。
35歳頃から94歳で亡くなるまで杉並区成田東に住み、「阿佐ヶ谷文士村」(※2)の一員として地域の文士らと交流があった。

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1951年頃の谷川徹三(写真提供:谷川俊太郎事務所)

1951年頃の谷川徹三(写真提供:谷川俊太郎事務所)

『宮沢賢治詩集』谷川徹三編(岩波書店)

『宮沢賢治詩集』谷川徹三編(岩波書店)

幅広い研究領域と交友関係

徹三は1895(明治28)年に愛知県知多郡常滑町(現愛知県常滑市)で、たばこの元売り店(※3)を営んでいた谷川米太郎の三男として生まれた。
京都帝国大学(現京都大学)文学部哲学科に入学し、京都学派(※4)の創始者の一人である西田幾多郎に師事。特に西田の講義で接したイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの著作に傾倒。戦前・戦後を通して哲学者の視点から広く芸術、文学にも目を向け、『生活・哲学・芸術』『芸術における東洋と西洋』『生の哲学』『茶の美学』などを著し、雑誌「世界」「思想」の編集にも参加した。
交友関係も幅広く、岩波書店創業者の岩波茂雄、京大時代の学友である三木清、林達夫らの他、志賀直哉、有島武郎、阿川弘之など多くの作家とも長年の親交があった。帝室博物館次長在任中には、館長の安倍能成、和辻哲郎らと昭和天皇の話し相手を務めたこともある。

『芸術における東洋と西洋』(岩波書店)。俊太郎が後書きを書いている

『芸術における東洋と西洋』(岩波書店)。俊太郎が後書きを書いている

「法政大学の象徴」となる

1928(昭和3)年に法政大学法文学部哲学科の教授に就任し、1963(昭和38)年から1965(昭和40)年まで総長を務めた。後に同大総長となった政治学者の中村哲は、「戦前・戦後を通じて谷川は『法政大学の象徴』だった」という言葉を残している。
HOSEIミュージアム所蔵の「谷川の頭像」は、彫刻家の高田博厚の手によるもの。詩人・片山敏彦の紹介で知り合った高田とは、西荻窪のアトリエに足しげく通うほどの仲で、高田が制作した宮沢賢治の胸像は徹三の勧めで作られたという。
同ミュージアムには、1951(昭和26)年の卒業生に頼まれて揮毫(※5)した書も保管されている。「學而不思則罔思而不學則殆」は『論語』の言葉で、「学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味はわからない。考えるだけで学ばなければ、独断に陥って危ない」の意。長年大切に保管された書からは、徹三が教育者としても敬愛されていたことがうかがえる。

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「谷川の頭像」高田博厚作(1968年)(HOSEIミュージアム所蔵)

「谷川の頭像」高田博厚作(1968年)(HOSEIミュージアム所蔵)

卒業生のために揮毫した書(HOSEIミュージアム所蔵)

卒業生のために揮毫した書(HOSEIミュージアム所蔵)

民藝運動支援と平和運動への賛同

民藝運動の主唱者である柳宗悦とは長年にわたって交流があり、徹三は終生、評論活動などを通じて民藝運動を支えた。若い頃から親しんだ茶道への造詣も深く、自ら作陶した茶わんも残っている。1938(昭和13)年に発表した『日本人のこころ』では、「茶の湯の真の精神は、日常のありふれた器物をもって、まごころをもって客をもてなすところにあります」と述べている。
また、平和運動にも積極的に関わり、世界連邦運動(※6)を熱心に進める平和主義者であった。1967(昭和42)年の第2回「Pacem in Terris(地上の平和)」会議(※7)について書いた原稿では、会議開催の意義を強く訴え、日本での報道が少ないと憂えている。

多くの著作の中で民藝や平和運動について言及した

多くの著作の中で民藝や平和運動について言及した

「Pacem in Terris(地上の平和)」会議に言及した直筆原稿(HOSEIミュージアム所蔵)

「Pacem in Terris(地上の平和)」会議に言及した直筆原稿(HOSEIミュージアム所蔵)

妻・多喜子と杉並の家

妻の多喜子は京都の衆議院議員・長田桃蔵の次女で、東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)でピアノを学んだ。ある音楽会で知り合った二人は手紙で思いを伝え合い、1923(大正12)年に結婚。息子の俊太郎は、二人が1921(大正10)年から2年間にわたって交わした往復書簡を母の没後に『母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙』として編んでいる。
結婚後は杉並区成田東の家で暮らした。母屋は晩年、日本初の女性1級建築士・浜口ミホが改修し、2026(令和8)年現在も残る。システムキッチンのはしりであるステンレス製の流し台や、当時まだ珍しかった壁の造り付け棚などがあり、先進的でモダンな家であった。俊太郎は、晩年この母屋の窓から毎朝庭を眺めて過ごしたという。

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スギナミ・ウェブ・ミュージアム「谷川俊太郎 しらないのに なつかしいどこか」(外部リンク)

『母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙』谷川俊太郎編(岩波書店)

『母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙』谷川俊太郎編(岩波書店)

浜口ミホ設計の水屋。表裏に引き戸があり両面から出し入れ可能

浜口ミホ設計の水屋。表裏に引き戸があり両面から出し入れ可能

家中いたるところに本棚があった

俊太郎はエッセーの中で、家に本があふれていたことをつづっている。「家中いたるところに本棚はあったと言っていい。戦後になるまで父は書庫というものを作らなかったから、私は家で本とともに生まれ育ったと言っても誇張にはならないだろう」(『ひとり暮らし』)
若い頃フランス象徴詩などに傾倒していた徹三は詩への理解が深かった。10代の俊太郎が書いた詩を徹三が詩人の三好達治に見せたことがきっかけとなり、俊太郎の鮮烈なデビュー作『二十億光年の孤独』の出版につながっていく。徹三は「公平に見て、これは悪くないと思ってね、その中で私がいいと思ったのを三好達治さんに見てもらった。そうしたら三好さんがたいへん感心してくださってね」(『人生相談 谷川俊太郎対談集』)と当時を振り返っている。

本に囲まれた部屋で、俊太郎、多喜子と。撮影年不詳(写真提供:谷川俊太郎事務所)

本に囲まれた部屋で、俊太郎、多喜子と。撮影年不詳(写真提供:谷川俊太郎事務所)

「生涯一書生」が座右の銘

徹三の孫である音楽家・谷川賢作さんは「祖父は孫かわいがりが激しい人でした」と笑う。「人前でほおずりするのをやめてほしいと言ったら、寂しそうな顔をしていましたね」。徹三は賢作さんが29歳の時、1989(平成元)年に94歳で死去。「亡くなった時、自分はスタジオにこもっていました。深夜3時に父から“賢、おじいちゃんが死んでる”と電話があったんです」(俊太郎は賢作さんを賢と呼んでいた)。前日までかくしゃくとして仕事をし、理容室に行くなどしていたという。
「祖父の座右の銘は“生涯一書生”でした」と賢作さん。『九十にして惑う 谷川徹三対談集』の後書きにも、「私は生涯一書生をもって自らを律して来た者だ」とある。多くの業績を残してきた哲学者の短い言葉の中には、計り知れない重みがある。

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優しい表情で、1歳の頃の賢作さんを抱く徹三(写真提供:谷川俊太郎事務所)

優しい表情で、1歳の頃の賢作さんを抱く徹三(写真提供:谷川俊太郎事務所)

93歳の時に出版された『生涯一書生』(岩波書店)

93歳の時に出版された『生涯一書生』(岩波書店)

※記事中、故人は敬称略
※1 民藝運動:1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司らによって提唱された生活文化運動。名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美は物が使われる中にあるとする「用の美」の概念を打ち出した
※2 阿佐ヶ谷文士村:1923(大正12)年の関東大震災以降、暮らしやすさと新しさにひかれて現在の阿佐谷かいわいに多くの文士が移住し、交流が生まれたことで「阿佐ヶ谷文士村」と呼ばれるようになった
※3 たばこ元売り店:専売公社の前身の大蔵省専売局からたばこを仕入れ、小売人に販売する権限を持った専門の卸業者
※4 京都学派:京都帝国大学文学部哲学教室の西田幾多郎、田辺元を中心にして大正・昭和期に形成された日本近代思想史を代表する哲学者集団
※5 揮毫(きごう):毛筆で文字や絵をかくこと。特に、知名人が頼まれて書をかくこと
※6 世界連邦運動:1945(昭和20)年に始動した、世界法治共同体の実現を目指す運動。賛同者にはアインシュタイン、ラッセル、湯川秀樹らがいる
※7 「Pacem in Terris(パーチェム イン テリス)(地上の平和)」会議:ローマ教皇ヨハネ23世によって1963(昭和38)年に発せられた回勅(教皇による公文書)を記念し開催される、一連の国際的なシンポジウムや国際会議

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