荻窪音楽祭が「荻窪の春・音楽祭」(※)として初めて開催されたのは、2000(平成12)年の春。
主催者である「クラシック音楽を楽しむ街・荻窪」の会の会長を第1回から務める宇田川紀通さん、音楽祭創設期から関わる中山弘さん、大岩晢朗さんに、音楽祭の立ち上げについて話を伺った。
「21世紀の荻窪を考える会(以下、21会)という地元の事業者や個人の団体で、もともとは荻窪駅の高架化を求めて活動していたんです。線路による物理的な南北の分断を高架化することで解消し、街の活性化を図ろうと。20年ほどいろんな活動をしたが、行政を動かすことができず、実現は極めて厳しい。そこでハード面だけではなくソフト面で、荻窪を心豊かに暮らせる街にするために自分たちで何ができるか考えた。それがスタートです」(宇田川さん)。
活性化の題材として音楽が候補に挙がり、高円寺が阿波おどり、阿佐谷がジャズなら、荻窪はクラシックでいこうとなった。「杉並公会堂は日本フィルの練習拠点でもあるし。けれど背広を着て聴くような堅苦しいのじゃなくね。以前訪れたブダペストで、ドナウ川を挟んだ街のあちこちで楽器を演奏していて、すごくいいなと思ったんです。あんなふうに街中に音楽が流れてみんなが気軽に楽しむ、そんなイメージでやりたいと思ってね」(宇田川さん)。
しかし新たなイベントの開催は大仕事。地域の音楽イベントは失敗例も珍しくないという中、参加を迷っていたボランティアの大岩さんは、「10年はやります」という宇田川さんの力強い言葉に感銘し、参加を決めた。
「継続が何より大事と考えていました。”最終的には私が責任を持ちます。10年、20回やれば市民権を得られる。10年はやります”と言って21会の皆さんの賛同をいただきました」(宇田川さん)。
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1998(平成10)年、「クラシック音楽を楽しむ街・荻窪」の会を立ち上げ、会場や演奏家の確保、プログラム作成といった準備を始めた。初開催まで2年弱。「会場は、杉並公会堂は杉並区が押さえてくれた。それ以外は私の仕事の関係先企業や賛同する店舗が協力してくれました」(宇田川さん)。パイプオルガンのある個人宅、ピアノのある喫茶店と、荻窪には予想以上に資源があった。演奏者については、チャンスを待つ若い音楽家や音楽教室をやっている人などに声をかけたところ、原則無償で出演してくれた。
会長も実行委員も音楽についてはアマチュア。企画を持ち込んだ当初、杉並公会堂では実現を不安視する向きもあったが、音楽祭を継続するうちに公会堂や日本フィルとの信頼関係も築かれていった。また、東京藝術大学ピアノ科で教鞭もとった岩崎操氏が、その知識と人脈を駆使し、音楽面での大きな支えとなった。
2000(平成12)年4月20日から23日までの4日間にわたり、第1回の音楽祭が開催された。南北の分断を融和するかのように、荻窪駅を挟んで南に3会場、北に8会場で延べ15回のコンサートが開かれ、春の荻窪をクラシック音楽が彩った。どの会場も満席のにぎわいだった。
誕生からしばらくは広告収入もなく赤字が続いた上、本業の傍ら運営を支える会員らはみな多忙を極めたが「腹をくくっていましたから、やめるという発想はまるでなかった。協力してくださった方には大変ご苦労をかけました。でも、阿佐谷の七夕まつり、西荻窪の骨董好きまつり、高円寺の阿波おどり、それに並ぶものを荻窪で継続していくという夢が叶ったかなという感慨があります」(宇田川さん)。
荻窪音楽祭を生んだ街づくりへの熱い思いは、「心をこめた演奏が心のふれあいを広めきっと住み良い街にしてくれる」というスローガンとなり、後の音楽祭へと引き継がれていく。
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※荻窪の春・音楽祭:第1回は「荻窪の春・音楽祭」という名称で、2000(平成12)年から2011(平成23)年までは春秋の年2回開催だった。「荻窪音楽祭」の名称は2006(平成18)年から使用されている
荻窪音楽祭公式ホームページ https://ongakusai.com/