荻窪2丁目の西田商店会に、国内はもとより海外からも顧客が訪れる有名なテーラーがある。「卓越した技能者(現代の名工)」(※1)にも選ばれた真鍋惠勇(やすたけ)さんが営む、高級注文紳士服店「テーラーまなべ」だ。真鍋さんは洋服作り一筋68年(取材時)。若い頃から高度な技量を持ち、特に紳士服の仕立ての中で最も難しい技術が必要とされるタキシード、モーニング、燕尾服(えんびふく)作りのスペシャリストだ。
善福寺川の近くにある店舗で、実際に洋服作りの作業を見せていただきながら、話を伺った。
※1 卓越した技能者(現代の名工):1967(昭和42)年にスタートした、国が優れた技能者を表彰する制度
真鍋さんは1935(昭和10)年、岐阜県で生まれた。15歳の時に義兄が営む岐阜市内のテーラーに就職。修業を始めて7年目、大阪で開かれた洋服作りのコンクールを見学した際に、東京のテーラーが出品した優勝作品のスーツを見て、技術レベルの違いに驚く。すぐに「自分も東京で修業して日本一になりたい」と決意を固め、1957(昭和32)年、22歳で上京。そのコンクールの優勝作品を仕立てた、新宿区四谷のテーラーに弟子入りし、住み込みで約10年の修業生活を送った。「当時は、6畳一間に弟子が6人。夜になると作業場を片づけて布団を敷いて寝る生活でした。仕事後に練習したくても場所がないので、他の弟子が銭湯や食事に出かけている隙を見て、時間を惜しんで仕事に熱中しました」と真鍋さんは話す。
修業時代の最後の3年間は師匠から店を任せられるまでになり、満を持して31歳で独立。「技術があれば、銀座や新宿の繁華街でなくてもお客様は来てくれる」と、翌1967(昭和42)年、荻窪に「テーラーまなべ」を開店した。時代は、高度経済成長期。修業先の顧客だった都心のエリートサラリーマンたちが、「真鍋さんのスーツ以外は着られない」と、はるばる荻窪まで洋服を注文しにきたという。店を切り盛りする多忙な日々の中、1976(昭和51)年、真鍋さんは全日本紳士服技術コンクール第1位を獲得。日本におけるテーラーの最高賞と言われる高松宮殿下技術奨励賞も受賞し、ついに「日本一のテーラー」になる夢をかなえた。
1979(昭和54)年以降、世界マスターテーラー大会(※2)のファッションショーで3度の最高賞に輝いた真鍋さん。名声が上がるにつれ、全国各地から注文が舞い込むようになった。「特に転機となったのが、社交ダンス界の2人の重鎮からの燕尾服制作の依頼でした。“今の日本にはピエロの着るような体に合わない燕尾服しかなく、これでは世界に通用しないので私たちの業界に協力してほしい”と相談に来られたのです」。真鍋さんは、普通の燕尾服をダンス用として着てパートナーと組んで踊ると、肩の部分が上下にずれることに気づく。「これを何とかしなくては」と職人魂に火が付き、1カ月間、他の仕事を断って研究。そして「燕尾服の仮縫いを着て2人で踊ってもらいながら、欠点を補正する」という手法で、パートナーと組んで踊った時に最高のシルエットに見えるという究極のダンス用燕尾服を作ることに成功した。
その後、真鍋さんに燕尾服を頼んだダンサーの中から、全日本大会のチャンピオンが生まれた。また、2名のイギリス人の世界大会チャンピオンの燕尾服も制作した。「お客様に満足感を持っていただける洋服作りがモットー。晴れの日、晴れの舞台に間に合わせるために、徹夜も当たり前だった。でも喜んで下さる顔を見ると疲れが吹き飛びますよ」と、プロの心意気を語ってくれた。
※2 世界マスターテーラー大会:世界注文洋服業者連盟が1910(明治43)年より隔年で主にヨーロッパで開催している洋服に関する学習会。メインイベントとして参加者の出品作品によるファッションショーが行われ、約230点の作品から選ばれた5点の中から、さらに最高賞が選ばれる
取材中に、なかなか普段は入れない洋服作りの現場を見せていただいた。後継者不足と言われて久しいテーラー業界だが、現在「テーラーまなべ」では、真鍋さんの長男・康昭(やすあき)さん、次男・收(おさむ)さんの他、全部で7名の職人が働いている。
制作中の服には、燕尾服はもちろん、一般のスーツもあった。近年、縫製など一部の工程を工場に委託するミシン縫いのイージーオーダーが業界の主流になりつつある中で、「テーラーまなべ」の服は、採寸から型紙作り、裁断、仮縫い、縫製まで熟練した技術者が全て手作業で制作。紳士用の上下スーツが約27万円から注文できる。何気なく作業場にかかっていた仮縫いのジャケットは、上品な光沢で見るからに高級そう。「これはドミニック・フランス社製のカシミア生地で、約130万円の上下スーツです」との説明を聞いて、金額に驚いたが、最上級の高価な生地を扱う真鍋さんの店では普通のことだと言う。
「テーラーまなべ」では、「採寸」「製図」「ボタンホールのかがり方」など、プロの技を伝授する動画を、康昭さんが中心となってYouTubeで公開中。NHK番組「ためしてガッテン」に真鍋さんが出演した際に紹介した「誰でもできる最強のボタンつけ」の方法も視聴できる。
真鍋さんは長年に渡り、自身が主宰する技術講習会「クリエイトクラブ」を、市ヶ谷の東京洋服会館で毎月1回開催し、後進を指導している。「日本のテーラーは世界に誇る技術を持っています。これを絶やしてはならない。私が知っているノウハウは、どんなことでも教えてあげますよ」と微笑む。
現在は、すでに優秀なテーラーに成長した後継者の康昭さん、收さんとともに、2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックを契機に多くの人に向けて東京のものづくりを紹介するイベントに出展するなど、積極的にテーラー業界のPRも努めている。最近では「テーラーまなべ」のFacebookで最新の着こなしやデザインを提案し、若い年代の新規顧客も獲得。真鍋さんのチャレンジ精神は、確実に次世代に受け継がれている。
取材を終えて
きびきびとした身のこなしに、若々しく良く通る美声。取材時に、真鍋さんから「昭和10年生まれの83歳」と伺ったときは信じられず、思わず「本当ですか?」と確認してしまった。「テーラーを辞めようと思ったことは一度もない。素晴らしい人生、私にとっては最高の職業です」と晴れやかに語る真鍋さん。長年、各界の名士の洋服作りを手掛けてきた真鍋さんの、接遇のプロでもある一面に触れた気がした。
真鍋惠勇 プロフィール
1935年、岐阜県生まれ。1967年、荻窪に高級注文紳士服店「テーラーまなべ」を開店。1976年、全日本紳士服技術コンクール第1位、高松宮殿下技術奨励賞受賞。2004年、黄綬褒章受章。1979年以降に国際大会で3度の最高賞獲得など数々の受賞歴を持つ、日本を代表するテーラーの一人。特に高い技術を必要とする燕尾服作りを得意とする。