ショーウインド―に、しゃれたスーツやタキシードなどを飾っている「テーラー」の看板を掲げた店を見かけたことはないだろうか。
テーラーとは、英語で「仕立て屋」「裁縫師」の意味で、注文服を仕立てる専門職だ(※1)。洋服仕立ての修業を積んだ職人が、客が希望するデザインや生地を選び、採寸、型紙作成、裁断、仮縫いと調整、縫製の工程を経て、一着の洋服を丹念に作り上げる。日本におけるテーラーの歴史は幕末にさかのぼる(※2)。明治維新期、政府は西洋化政策の一環として1872(明治5)年に文官(※3)の礼服を和服から洋服にする太政官布告(だじょうかんふこく)を出すなど、洋装を推奨。明治19(1886)年には、政府の公認団体である東京洋服商工業組合(のちの東京都洋服商工協同組合)が設立された。杉並区では1926(大正15)年に、区内の中央線沿線を中心とするテーラー28名が集まり、同組合の支部を結成している。
明治以降、昭和40年代後半頃まで、男性が背広を新調する際には完成品を買うのではなく「あつらえる」のが一般的で、テーラーは今よりもっと身近な存在だった。その後、アパレル業界の台頭で既製服が主流となり、都内にあるテーラーの数は年々減っているが、東京都洋服商工協同組合は、3年間で仕立ての技術を学べる教室「東服匠アカデミー」を開設するなど、後継者の育成に力を入れている。2018(平成30)年現在、東京都洋服商工協同組合杉並支部に加盟するテーラーは8店舗。その中の3店を取材し、既製服とは一味違うオーダーメードという注文洋服の魅力を教えてもらった。
※1 通常、紳士服を作るテーラーに対して、婦人服を作る店はドレスメーカーと呼ばれているが、婦人用のスーツなどの注文も受けているテーラーも多い
※2 日本で最初のテーラーは、1859(安政6)年、横浜の米国人宣教師によって開業された。その後、日本の足袋職人、袋物師、仕立師が洋服仕立てを学び、テーラーとなった
※3 文官:軍事以外の行政事務に携わる官僚のこと
区立桃井原っぱ公園の近くにある紳士服 大萬(以下、大萬)は、店主・尾崎永治さんの父である仙蔵さんが1930(昭和5)年に原宿で開業した老舗テーラーだ。仙蔵さんは終戦直後に出身地の杉並に戻り、戦後の混乱期は顧客宅に直接出向く方式で、無店舗で営業を継続。1953(昭和28)年、現在の場所に店を構えた。
二代目の尾崎さんが修業を始めたのは1959(昭和34)年、その頃はオーダーメードが当たり前の時代で「昔は正月に仕立て下ろしの洋服を着る習慣があったので、11月になると店に仮縫いの洋服がズラッと並んだものでした」と振り返る。
既製品のスーツが市場に出回るようになった今でも、着心地を求めてオーダーメードにこだわる人は多いという。「洋服に体を合わせる既製服に対し、体に洋服を合わせて作るのがオーダーメードのスーツ。見た目もフィット感も既製服とは明らかに違います」と、その魅力を語る。ウールをはじめ上質な天然素材の生地で仕立てたスーツは、耐久性も抜群。「一見、高価なイメージですが、若干のお手入れで20年以上は十分に着られる実用品です」。全行程を店舗で仕上げるオーダーメードのほかに、縫製など一部の工程を工場で行うイージーオーダーがあり、これなら手頃な価格で体型にあったスーツを注文できるため、若い世代にもおすすめだという。
2010(平成22)年、尾崎さんは長年培った優れたテーラー技術を認められ、杉並区技能功労者(※4)の表彰を受けた。大萬の注文服を着る祖父と父を見て育った少年が、大学の卒業式のために初めてのスーツを作りに来たこともあるそうだ。「お客様に出来ばえと着心地を褒められるのが一番うれしいですね」と語る尾崎さんの笑顔は、老舗の店主らしい柔和な品格に満ちていた。
※4 杉並区技能功労者:永年にわたり同一の職業に従事し、技能の練磨及び後進の指導育成に努めた人を表彰する制度。区内で対象職種に5年以上従事し、30年以上技能者としての経験を有する60歳以上の人が対象
▼紳士服 大萬
住所:杉並区桃井3-1-16
電話:03-3399-2430
荻窪2丁目、善福寺川の近くに、洋服作りの技術を競う国際大会で3度の世界最高評価を得たテーラーまなべがある。店主の真鍋惠勇(まなべやすたけ)さんは岐阜県出身。若い時から国内のコンクールで幾度も最高賞に輝き、2004(平成16)年には黄綬褒章を受章。長年にわたり、国内外でトップクラスの腕を誇ってきた日本を代表するテーラーの一人だ。
特に、高い技術が求められる燕尾(えんび)服やタキシード作りに定評がある。「燕尾服を着るといっても、社交ダンサーと指揮者やピアニストでは動きが違います。それぞれの所作(しょさ)の美しさを最大限に引き出す服を作るのが、テーラーの技術です」と、真鍋さんは熱心に語る。例えば、社交ダンス用の燕尾服であれば、実際にスタジオに出向き、パートナーと組んで踊ってもらいながら、採寸や仮縫いの補正を行うなど、常に新しいチャレンジを続けてきた。顧客層の幅も広く、有名な演歌歌手、社交ダンスの元・全日本チャンピオン、海外のクラシック演奏家など、各界の著名人からのオーダーが絶えない。
真鍋さんの高い技術と服作りへの探求心を受け継ぎ、長男の康昭(やすあき)さん、次男の收(おさむ)さんも同店でテーラーとして働く。テーラーまなべのショーウィンドーには、康昭さんが国際的な技術コンクールで最高賞を受賞したときのトロフィーが飾られている。後継者不足が懸念される業界の中で、次世代への確かな技術の継承が期待される店である。
▼テーラーまなべ
住所:杉並区荻窪2-41-16
電話:03-3391-8135
ホームぺージ:https://www.tailormanabe.com/index.htm/
荻窪教会通り商店街にあるビスポーク・テーラー中山は、1957(昭和32)年に創業。二代目店主の中山弘さんは、立教大学理学部を卒業し、大阪の塗料専門会社に2年間勤務したあと、父・勇さんの跡を継いでテーラーになることを決意した。元々、理系だった中山さんは、採寸したデータを正確に反映した服を作るため、コンピュータ利用設計システム(CAD)で型紙を作る方法を開発した。
店名の「ビスポーク(Bespoke)」(※5)には、オーダーする人が注文する服に何を求めているのかを、会話を通して丁寧に見極めたいという中山さんの思いが込められている。接客には、塗料を扱っていた経験も役立っているそうだ。「グレーで塗装されている物を見たときに、白と黒だけでなく、赤や青など何色を混ぜているのかが瞬時に分かります。色を分解する能力は、服地のコーディネートに生かせています」と中山さん。着る人の髪や肌の色、質感、目鼻立ちなどを見ながら、その人に似合う生地の色や柄、スーツやジャケット、コートなどのデザインを提案している。
顧客の8割は、地元在住のビジネスマンで、中山さんはスーツの着こなしの相談を受けることも多い。そこで、おしゃれの参考にしてほしいと、スーツ、ワイシャツ、ネクタイの組み合わせをブログで提案している。現在までに3,000点以上の着こなし例を公開してきた。「これからもオーダースーツを着る喜びやおしゃれの楽しみを、積極的にお客様に伝えていきたい」と、穏やかな笑顔で語ってくれた。
※5 ビスポーク(Bespoke):英語で「あつらえる」「注文を受けて服や靴などを作る」の意味
▼関連情報
すぎなみ楽倶楽部 ゆかりの人々>杉並の人々>中山弘さん
▼ビスポーク・テーラー中山
住所:杉並区天沼3-6-22
電話:03-3398-6157
ホームぺージ:http://www.tailor-nakayama.com/
ブログ::http://tailor-nakayama.cocolog-nifty.com/blog/
価格と納期は店によって違いはあるが、仮縫いを経て手縫いで仕上げるオーダーメードのスーツだと価格は20万円前後からで、完成するまで1~2カ月かかる。仮縫いなしで、工場で縫製するイージーオーダーは5万円前後からあり、注文から3~4週間ほどで仕上がる。生地や工程によって、さまざまな価格帯の商品が用意されている店も多く、着る場面に合った生地やデザインを相談しながら注文できる。
今回取材をしたどの店主も、人をリラックスさせる柔らかな物腰と優しい笑顔が印象的だった。一流のテーラーは、仕立て技術のプロであると同時に接客のプロでもあるのだろう。こだわりの一着にあこがれるが、高級感のあるテーラーのドアを開けるのは少し緊張するという人も、ぜひ安心して訪れてみてほしい。
『組合創立120周年記念事業 東京洋服年鑑2006年版』東京都洋服商工協同組合
『東服杉並支部創立70周年記念誌』 東京都洋服商工協同組合杉並支部 平成7(1995)年
『すぎなみ産』創刊号 杉並区産業振興センター 平成29(2017)年
東京都洋服商工協同組合公式ホームぺージ http://www.yohfuku.or.jp/