米穀専門店

減りつつある「まちの米屋さん」

主食として日本人の食生活を支える、米。1995(平成7)年に「食糧法(※1)」が施行されるまで、米の生産、流通、販売は、政府の計画によって進められていた。その頃、消費者が米を主に購入していたのは米穀専門店、いわゆる「まちの米屋さん」である。なじみの米屋に買いに行ったり、配達に来てもらったりが日常的な風景であった。ところが「食糧法」が施行されて以来、米の流通の自由化が進み、いろいろな場所で買いやすくなると、米穀専門店の利用者は激減した(図1参照)。スーパーマーケットで肉や野菜と一緒に購入したり、夜遅くまで営業しているコンビニエンスストアで買ったりと、ライフスタイルの多様化に伴って変化したのだ 。近年では、産地直送販売やインターネット注文など、消費者にとって便利な選択肢がますます増えている。
米穀専門店での購入者が減少の一途をたどるなかで、今、どのような営業が行われているのか。区内4店の米穀専門店のさまざまな工夫と努力を取材した。

※記事内の数値(年、年齢など)は、2017(平成29)年11月の取材時のもの

※1 食糧法:正式名称は「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」。米の管理・調整を、従来の政府主体で行うのではなく、民間を主体として行うもの

図1:米の購入先の推移。1995(平成7)年の「食糧法」施行以降、米穀専門店での購入者の割合が減少する

図1:米の購入先の推移。1995(平成7)年の「食糧法」施行以降、米穀専門店での購入者の割合が減少する

約50種類の米から選ぶ楽しみを提供するーお米の高南

玄米2斗(約30kg)入りの袋が封を切った状態でずらりと並ぶお米の高南(こうなん)。店主の斎木康二朗さんは、このユニークな販売方法を20年前から始めた。「お客さんに、ともかく立ち止まって見てもらうことが目的でした」
昭和の初めに高円寺で創業した米屋の、康二朗さんは三代目。昔は、1トントラックを2台使い、八王子や渋谷など数カ所の学校等に1日何回も配達していたそうだ。ところが1995(平成7)年に「食糧法」ができてからは、大手量販店が安い価格で卸し始めたことに勝てず、トラックを使うような大きな仕事はなくなったという。そこで考えたのが、現在の販売方法だ。米袋の陳列台を買う予算がないのを逆手に取り、玄米入りの2斗袋のまま店頭に並べる。その数、常時約50種類。客は好みの銘柄を必要な量だけ買え、依頼すればその場で精米してもらえる。「米は嗜好(しこう)品であってほしいと思います。料理に合わせて変えるのもおすすめです。種類豊富な中から迷いながら選ぶ買い物を楽しんでもらいたい」と話す康二朗さん。 取材中にも、甘味のない米が欲しいという客が訪れており、「要望に応えられるように勉強が欠かせません」と話しながらもうれしそうだ。
それでも店の売り上げは、トラックで販売していた頃と比べると5分の1に減ったという。「つい5年前まで高円寺に7軒あった米屋が今は当店を含めて2軒に減りました。この売り方をしていなければ当店も続いていなかったかもしれません」。米穀専門店が直面する厳しい時代を、「お米の高南」はアイデアとセンスで今も生き抜いている。

▼お米の高南
住所:杉並区高円寺南3-48-1
電話:03-3311-8584

店は高円寺にあるが、天沼や井草から自転車で買いに来る客も多い

店は高円寺にあるが、天沼や井草から自転車で買いに来る客も多い

米の特徴を、それぞれPOPや写真などでわかりやすく解説

米の特徴を、それぞれPOPや写真などでわかりやすく解説

店内に積んだ米袋もディスプレイの一部。売れ残りが出ないよう、ちょうど良い量を仕入れている

店内に積んだ米袋もディスプレイの一部。売れ残りが出ないよう、ちょうど良い量を仕入れている

米の配給時代からの縁が今も続くー田中屋米店

阿佐谷の田中屋米店では、74歳になる店主の田中重光さんが元気に精米や配達に励んでいる。
「父が1932(昭和7)年に店を開きました。昔は米は配給制で、各家庭に米穀通帳(※2)が配られており、例えば4人家族は月に何十キロというように量が決まっていました。それを毎月数回に分けて、阿佐谷南1~3丁目の家庭に順番に届けていて、子供だった私もリヤカーを押すのを手伝ったものです」。戦時中の食糧難のころは、米の配給に麦が補充されることもあったそうだ。「お屋敷に住んでる人に“こんなものは食べられない”と言われたり、次の配給日が来る前に米がなくなった家から“前借りさせてほしい”と頼まれたり。“お米屋さんは好きなだけ食べられていいわね”と言われることもありました」。当時はヤミ米を扱っていた店もある中、父は真面目だったのにとんだとばっちりだったと重光さんは笑う。
1965(昭和40)年に、学校を卒業した重光さんも家業に従事する。「まだ電話が普及していない頃は、御用聞きに行っていました。“お茶飲んでおいきよ”と言われて魚屋や酒屋の配達の人といっしょに縁側でいただいたり、いい時代でした」。当時は配達先をグラフにしてスケジュールを管理していたそうだが、現在でも田中屋米店のカレンダーには予定が細かく書き込まれている。「お客さんの数は確かに昔より減っています。それでも、配給時代からのお得意さんは“配達してもらうほうが楽”と今も利用してくれています」。田中屋米店では、知人からの紹介で杉並区の保育園などにも米を届けている。父の代から誠実に商売を続けてきて得た信頼に、今も店は支えられている。

※2 米穀通帳:第二次世界大戦中から戦後にかけて、政府が米穀統制のために各家庭に配った通帳
※3 平成の米騒動:1993(平成5)年の記録的な冷夏が原因で起こった米不足

▼田中屋米店
住所:杉並区阿佐谷南3-38-36
電話:03-3398-2326

メモがびっしり書き込まれた精米機。1950(昭和25)年から使っており、今も現役

メモがびっしり書き込まれた精米機。1950(昭和25)年から使っており、今も現役

電話がまだ珍しい時代は、斜め向かいの魚屋と親子電話にしていたそうだ。「うちに電話がかかってくると、道路の向こうから呼んでくれたんですよ」

電話がまだ珍しい時代は、斜め向かいの魚屋と親子電話にしていたそうだ。「うちに電話がかかってくると、道路の向こうから呼んでくれたんですよ」

平成の米騒動(※3)の際、売る物がなくて閉店した同業者もいたという。重光さんは、一貫して使い続けていた問屋の協力を得て騒動を乗り越えた

平成の米騒動(※3)の際、売る物がなくて閉店した同業者もいたという。重光さんは、一貫して使い続けていた問屋の協力を得て騒動を乗り越えた

米への関心を高める取り組み-森田屋米店、小張精米店

近年では、家庭で買う米自体の量も少なくなった。総務省の「家計調査」によると、ここ数年、パンへの支出金額のほうが米を上回っている(図2)。そのような状況下で、米への関心を高めるような、新たな取り組みを行っている店もある。
荻窪にある森田屋米店は、1926(大正15)年創業の老舗である。11年前から群馬県や茨城県の農家を訪ねる「田植えと稲刈りバスツアー」を実施しており、親子連れを中心に毎年好評だ。1993(平成5)年の米騒動のときに、米問屋の米がなくなり、全国の農家から直接取り寄せるようになったのがきっかけだという。「農家と親しくなっていくなかで、米作りの現場で実際に田植えと稲刈りを体験してもらいましょうという話になりました。生産者の話を聞いたり、田植えをしながら田んぼの虫をみつけたりなど、農業の勉強ができます。田んぼで食べるおにぎりはおいしいですよ」と、森田ひろみさんは話す。農家側も東京からのツアーのおかげで地元が活性化する様子を見て喜んでいるそうだ。
小張(こばり)精米店も荻窪で、昭和の初めより店を構えている。2016(平成28)年に、オリジナル商品の「お米の2合ギフト」がグッドデザイン賞を受賞。厳選した5種類のブランド米が、のれんをイメージした5色の紙に彩られ、洗練された雰囲気を醸し出している。三代目の小張正就さんは、「いいものができたので何かPRできないかと思い、グッドデザイン賞に応募してみました」と動機を語る。おしゃれなパッケージに入ったおいしい米を贈られて困る人は少ないだろう。5種類の銘柄を食べ比べることで、あらためて米の魅力を再認識できそうだ。

▼森田屋米店
http://www.moritayakometen.com/

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 食>惣菜、飲料、その他>小張精米店

図2:「1世帯当たりの支出金額の推移(食料)」。2015(平成27)年は、米22,981円に対しパン30,507円という結果だった

図2:「1世帯当たりの支出金額の推移(食料)」。2015(平成27)年は、米22,981円に対しパン30,507円という結果だった

森田屋米店が、2017(平成29)年9月に茨城県東町で行った稲刈りバスツアーの様子(写真提供:森田屋米店)

森田屋米店が、2017(平成29)年9月に茨城県東町で行った稲刈りバスツアーの様子(写真提供:森田屋米店)

小張精米店のオリジナル「お米の2合ギフト」。デザインは正就さんの妻、三保子さんが担当した

小張精米店のオリジナル「お米の2合ギフト」。デザインは正就さんの妻、三保子さんが担当した

「米屋さん」で米を買う良さ

米穀専門店の取材中、どの店でも「米は早く食べたほうがおいしい」「2週間くらいすると酸化が進んでどんどんまずくなる」という声を何度も聞いた。また、「精米したばかりの米はスーパーなどで買うものと全然違う」という意見もあった。最良の状態で米を買えるのも、米穀専門店で購入する良さだろう。
試しにライターも、自分の好みを店主に伝えて選んでもらった。精米したての、ほんのり温かい米を手にしただけで、どんな味がするのだろうと期待が高まる。普段よりも丁寧にといで、ふっくらと炊き上がったご飯を茶碗によそいながら、「今日のお米は米屋さんがすすめてくれた島根県の隠岐藻塩米(おきもしおまい)だよ」と伝えると、家族も興味をひかれたようだ。漫然と同じ米を食べていたときには気づかなかった「米は嗜好品」という斎木康二朗さんの言葉に、なるほどと思えた。
省庁の資料を見れば米穀専門店の利用者が減っているのは確かだ。取材を通して、区内の店が厳しい状況にあることも実感した。だが、話を伺ったどの店主にも悲壮感はなく、むしろ仕事と店に誇りを持っていると感じた。杉並の米穀専門店が廃れることがないよう、たまには足を向けて、店主のすすめる銘柄を試してみてはどうだろうか。いつもの食事に、米のうまみを深く味わう楽しみが加わるはずだ。

「記憶に残したい伝統職」ならぬ、まちに残したい「米屋さん」

「記憶に残したい伝統職」ならぬ、まちに残したい「米屋さん」

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