続 太宰治の愛した「ステッキパン」

ステッキパン再現後、新たに調べたことを紹介

2014(平成26)年5月にステッキパンを再現した後も、杉並名品復活プロジェクトチームは、太宰治の作品や小澤パン店に関する調査を続けた。新たに得た情報をまとめて紹介する。

小澤パン店の写真 ※2015年7月加筆
『伸びゆく杉並 昭和7年』(西部日報社)に、小澤パン店の写真が掲載されているのを発見した。同書には、「天沼一四一荻窪駅北口 電話荻窪一○一五番」という情報も記されている。看板の文字は「小沢」という表記であった。

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小澤パン店の外観(『伸びゆく杉並 昭和7年』より)

小澤パン店の外観(『伸びゆく杉並 昭和7年』より)

小澤パン店の歴史 ※2021年5月31日加筆

小澤パン店初代店主の次男・小澤淳宏さんに、店の歴史について伺った。
太宰治がひいきにしていた店は荻窪駅北口にあった。「駅東側の大踏切前(現在の荻窪地下道辺り)の4軒長屋の真ん中2軒を使って営業していた」そうだ(コラム1の写真参照)。初代が杉並に初めて開いた小澤パン店は、この荻窪駅北口の店ではなく「1923(大正12)年、杉並村大字高円寺字西小澤に開店した店」だったという。現在の五日市街道入口交差点より西の、旧五日市街道入口の角である。淳宏さんが「荻窪へは9月の関東大震災を機に移ったのではないか」と推測するように、『新修杉並区史 下巻』には、震災2カ月後の11月に、現在の四面道辺りに小澤製パン所という工場が創立された記載があった。おそらく、同じ頃に販売店も荻窪駅北口にできたものと思われる。
その後、1944(昭和19)年に始まった戦時下の建物疎開(※)で、荻窪駅北口一帯が対象になり、販売店は工場の場所に移転した。
戦後、食料確保のため物々交換が盛んになり、小澤パン店は1947(昭和22)年、分業として日大二高通り沿いに盆栽を扱う照楽園を開店した。店を任された淳宏さんは「天沼に住む軍人が盆栽を持ち込みに来た」と話す。
やがて、小澤パン店は閉店し、照楽園は現在のタウンセブン辺りに移って、盆栽、小鳥、金魚、釣具を扱う大型店となった。その後、荻窪駅南口などへの移転を経て、現在は杉並公会堂近くの青梅街道沿いで、息子の小澤忠弘さんが代表を務めるフィッシングショップ株式会社照楽園として営業中だ。

※建物疎開:空襲により火災が周辺に広がるのを防ぐために、あらかじめ建物を取り壊して、防火地帯を作ること

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 歴史>「杉並町報」で知る昭和4年の杉並>天沼の発展と著名営業の紹介

杉並で初めて開いた小澤パン店があった場所。「昭和6年番地入最新杉並町全図」に加筆

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荻窪駅北口、小澤パン店があった辺りの現在の様子

荻窪駅北口、小澤パン店があった辺りの現在の様子

かつては武蔵小金井にも分店があり、1939(昭和14)年の写真が残っている(資料提供:小澤淳宏さん)

かつては武蔵小金井にも分店があり、1939(昭和14)年の写真が残っている(資料提供:小澤淳宏さん)

荻窪駅南口にあった頃の照楽園(写真提供:小澤忠弘さん)

荻窪駅南口にあった頃の照楽園(写真提供:小澤忠弘さん)

太宰はなぜステッキパンを好んだのか ※2014年6月執筆

なぜ太宰治は小澤パン店の数あるパンの中で、とりわけステッキパンを好んだのだろうか?
太宰が心酔していたフランスの詩人、ヴェルレーヌの影響があったのではないかと思われる。ステッキパンはヴェルレーヌの二つの代名詞、ステッキと神への信仰(パンはキリスト教ではキリストの肉体を意味し、聖なる食べ物)とを兼ね備えている(※)。伊馬春部の芝居で太宰が真っ先に手を伸ばしたのはステッキパンだが、実際にそうであったのかもしれないし、太宰のヴェルレーヌ好きを知る伊馬の粋な演出なのかもしれない。
のちの太宰作品にもステッキはたびたび登場する。『服装に就いて』では、自らのファッションの嗜好としてのステッキを語り、『陰火』『火の鳥』『黄金風景』『パンドラの匣』などでは、ステッキに、生と死、善と悪、神と悪魔といった相反する不条理のイメージを重ねている。とくに『二十世紀旗手』には、ステッキとパンが同時に語られる一節がある。「生きていくためには、パンよりも、さきに、葡萄酒が要る。三日ごはん食べずに平気、そのかわり、あの、握りの部分にトカゲの顔を飾りつけたる八円のステッキ買いたい。」
そうはいっても、パン、食べたい…。小澤パン店のステッキパンをかじる太宰の胸中に渦巻いていた、複雑なイメージを彷彿させる。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>読書のススメ>『二十世紀旗手』

※ヴェルレーヌは、フランス象徴派の代表的詩人。波乱と放浪の人生に540篇余の珠玉の詩を残した。キリスト教への信仰心を謳った詩も多く、パンは、太宰が最も愛誦した詩、『知恵』の一節にも登場する。晩年は詩王と尊敬されながらも貧困に苦しみ、膝を病んでステッキにすがりながら病院を転々とした。ちなみに、ステッキもキリスト教では聖なるものだが、同時に異端を意味する。船橋時代の太宰のステッキがヴェルレーヌのステッキに姿形が似ているのも、暗示的である

『二十世紀旗手』(新潮文庫)

『二十世紀旗手』(新潮文庫)

DATA

  • 出典・参考文献:

    『新修杉並区史 下巻』(東京都杉並区)
    「昭和6年 番地入最新杉並町全図」(日本地理付図研究所)


  • 取材:井上直、RYO、TFF
  • 撮影:RYO
    資料提供:小澤淳宏さん
    写真提供:小澤忠弘さん
  • 掲載日:2014年06月02日

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