
生まれも育ちも宮前3丁目。町会も手伝っており、毎日忙しい
西荻窪駅から徒歩10分。神明通りの住宅街に、「Key Note」と書かれた小さな看板を掲げたアトリエがある。オーナーの小野瀬康子(おのせ やすこ)さんは、一般的な洋服リフォームのほかに、着物をリフォームしたドレスや、コスプレを含むオーダー服の製作を行っている。なかでも身体の不自由な人に向けた洋服リフォームには力を入れており、ユニバーサルデザインを考慮した、着る人にやさしい洋服づくりに取り組んでいる。
子供のころから知っている近所の人に「ちょっと直してよ」と気軽に頼まれることもあるが、経験に裏打ちされた確かな技術を駆使して少し変わった依頼も受けている。「服の仕立て直し」のようなサービス業は、商圏範囲は店舗から半径500mの事業と言われるが、キイ・ノートの半径はかなり広いようだ。そんな小野瀬さんの仕事について詳しく伺った。
服飾の学校を卒業した小野瀬さんは、アパレル企業「ヴァンヂャケット」で、デザイナーとして仕事を始める。青山にある流行の最先端を行く会社で立体裁断の技術を深める日々だったが、会社は業績悪化やオイルショックによる不況などで倒産。その後映画関連の会社でクレジットを作る仕事に従事したが、服飾の仕事に戻ることを決意して5年後に独立。キイ・ノートを原宿に立ち上げた小野瀬さんは当時30歳。前職の関係から映画、CMの衣装やコンサート用の衣装などを手掛けた。
また、特撮映像で使われる戦隊モノのコスチュームや、CMではウルトラマンが着る学生服を製作したこともある。衣装を着る側のタレントの中には、オーダーメイドなのに採寸させてくれない人もいて、そんなときは「目視でだいたい測る」のだそうだ。この時代に、依頼主に合わせてどんなものでも作る、という技術を身に着けた。
1993(平成5)年、生まれ育った西荻窪にアトリエを移したのは、実家の建て替え時に地下にアトリエを作れたのがきっかけだった。移転で大きく変わったのは客層だ。原宿時代の顧客は企業だったが、住宅街という立地になって顧客も個人へと変化した。しかし「何に使うか、どういうものにしたいかを聞き取りつつ、顧客の要望するものを作る」という基本は変わらない。
例えば着物をドレスに作り替える場合は、まずシーチング(※1)で型紙を作り、着物のどの柄をどこに持っていくかをクライアントと相談してデザインを固めていく。洋服地と着物地では布幅が違う(※2)ので、思う場所に思う柄を持っていくのが難しい。はぎ合わせも目立たなくする必要があって複雑なパズルのようだが、「難しい。でもそこが面白い」と小野瀬さんは言う。「昔のオーダーメイドというと体にぴったり作るのがスタンダードでしたが、今はひとまわり大きく”ひと皮浮かせて”作るのが主流なんですよ」と教えてくれた。
体形の変化で着られなくなった服の持ち込みも多い。「サイズアップがメインですね。背中側のタックをほどいて前に出したり、いろんなところに隠れている縫い代をほどいたりします」。それでも足りないときは、レースなどの別素材を使う。「元からそういうデザインだったわ、という感じに仕上げます」
毛皮のコートをボレロとブルゾンに作り替えたこともある。口コミで評判になり、一時毛皮の持ち込みが増えた。ステージ衣装も、顧客同士の紹介が次の依頼につながっている。
小野瀬さんは、着物リフォームについて「古い着物にはモダンな柄も多く、洋服に作り替えるとステキです。でも着物を譲り受けたり、節目に新調したりという文化は廃れつつあるので、着物リフォームはあと10年もすればなくなるでしょうね」と残念そうに語った。
小野瀬さんはユニバーサルデザインの服づくりにも力を入れている。例えば車いすの人にワンピースを作り替えるときは、裾を切るのではなく、胴回りを切って丈を詰めた。それにより着やすく、座り姿が美しく見える。「着せる人が楽になるだけのリフォームはいやなんですよ。着る人が気持ちよく着られるのが一番」。指先に力が入らない人にはループをつけ、柔らかい素材でできたスナップも留めやすいように大きいものを使う。腰が曲がって背中が出てしまう人には背中に布を足して前身ごろを詰める。本人ができるだけ自分で脱ぎ着できるように工夫し、素材を吟味して見た目の美しさにもこだわるのが小野瀬さんのやり方だ。
また、キイ・ノートは営業時間を11時からとし、その前の時間帯を出張相談にあてている。「家から出られない人のところにはこちらから出向きます」
原宿時代は、特撮映画「未来忍者慶雲機忍外伝」にも関わっていた小野瀬さん。その頃の技術を生かし、仮装イベントで着るプリンセス風ドレスやアニメ作品などのコスプレ衣装を製作することもある。クオリティーにこだわる依頼者が多く、機能性より見た目が重視されるので、1枚のドレスを3つのパーツに分けて作り、ようやく着られるような作品になることも。「フィギュアを持ってこられるお客さんもいますし、キャラクター名だけでの依頼もあります。フィギュアがあると背面のデザインが分かるので助かりますが、人体にはありえないプロポーションをしているので…そこは人間がちゃんと着られて、でも作品の世界観になるべく近いものを考えます。アニメ作品だと、背面のデザインは作中になかなか出てこないので資料不足で苦労しますね」
色みを合わせるために、衣装だけでなく小物や履物まで製作する。これも顧客に喜んでもらえる楽しい仕事だそうだ。
最後に小野瀬さんの製作ポリシーを聞いた。「既製服は、店舗に行けば値札のついた現物が目の前にありますよね。でもオーダーメイドやリフォームは、やると決めた時点では目の前に現物がない。そこにお金を出してもらうのだから、最終的にこの金額で妥当だな、と思ってもらえるだけの完成度が大事です。いかにして顧客の要望を引き出し、理想に沿うものを作れるか、じっくり相談しながら製作しています」
顧客の思い入れのある服を預かり、ふたつとないものにはさみを入れる。取り返しがつかないことだからこそ、信頼できる人でなければ預けられないだろう。「直接顧客のお顔が見られて、お渡しするときに喜んでいただけるのが一番嬉しいんですよ。それが私の喜びになるし、やりがいです」と小野瀬さんは笑顔で語った。
「こんなことができる」という小野瀬さんの話を聞くほどに、まるで魔法のようだと感じた。筆者は手芸程度の知識しかないが、技術と経験のあるプロの「できること」の幅広さを改めて知った。「こうすれば叶う」は技術がなければ提案することさえできない。「私は服のデザインをするわけじゃないから」と小野瀬さんは謙遜するが、既製服や着物から新しいものを生み出すことのできる尊敬すべきアーティストだと思った。
服飾の学校を卒業後、1974(昭和49)年に一世を風靡したアパレル企業、ヴァンヂャケットに勤務するも1978(昭和53)年、会社倒産に伴い退社。その後特撮のフイルム合成をする会社でタイトルデザインの部門に従事し、市川崑作品などに関わる。服飾の世界に戻るため、1983(昭和58)年11月、原宿にキイ・ノート設立。店名は音楽用語「基本の音」から。主に映画やCM、コンサートの衣装を手掛ける。1993(平成5)年、実家の建て替えを機にアトリエを西荻窪に移し、現在に至る。
※1 シーチング:薄手の綿の布。色を付けていない生成りのものは仮縫い用の生地としてよく使われる
※2 洋服地と着物地では布幅が違う:洋服地は約90 cm、110cm、140cmに対し、着物地は約36~38cm程度と幅が狭い