半世紀にわたり高円寺の日常にたたずむLive Music JIROKICHI
1975(昭和50)年、高円寺に一軒のライブハウスが誕生した。その名は「生聞居酒屋次郎吉」、後の「Live Music JIROKICHI」(以下JIROKICHI)である。生演奏を間近で聴ける居酒屋には、ブルースやジャズを軸に、山下洋輔、渡辺貞夫、憂歌団ら多くのミュージシャンの音が溢れた。開店の翌年、大映調布スタジオで開催されたライブイベントは、店名の由来である義賊・鼠小僧次郎吉になぞらえ“どろぼう公演”と名付けられた。以来、店名は「次郎吉」から「JIROKICHI」を経て、現在は「Live Music JIROKICHI」に。そして、2025(令和7)年に50周年を迎えた。
1972(昭和47)年、ヨーロッパに渡った創業者・荒井誠が目を奪われたのは、ベルギーのブリュッセルで目にしたライブハウスの光景だ。国籍も言葉も異なる人々が、音楽の場で自然に心を通わせている。「音楽には国境も言葉の壁もない。いつかこんな場所をつくりたい」そんな思いを胸に帰国した荒井は、姉が営んでいたレストランを譲り受け「生聞居酒屋次郎吉」を開いた。
サックス奏者・渡辺貞夫の助言で導入されたグランドピアノは、この店の響きの核となった。さらに創業当初から店の音を支え続けてきたPAエンジニア・桑原“WAO”和夫の存在も欠かせない。演奏と空間の響きを整えるその技が、この場所ならではの音の個性を育ててきた。
やがて店は関西出身のウエスト・ロード・ブルース・バンドの東京での拠点ともなり、50周年記念イベント(※)では、ボーカルの永井“ホトケ”隆に最多出演賞のメダルが授与される一幕もあった。
荒井の娘で二代目オーナーの高向美帆は、「客だった頃に出合ったバーナード・パーディのドラム演奏を今も鮮明に覚えています。本当のグルーヴを目の前で見た、と感じました。その衝撃は、この場所への信頼を決定的なものにしたんです」と語る。
店を継いだ当初は「高円寺のライブハウス」という固定観念にあらがおうとした時期もあり、「”中央線”や”高円寺”という響きをあえて強調せずに宣伝しようとしていた」と振り返る。偉大な父の存在は大きく「同じようにはできない」と悩んでもいたが、弟の「自分らしくやればいいんだよ」という一言に救われたという。人と音が出会う夜を生み続けてきた今は「”高円寺”にあるJIROKICHIなんだ、ということを強く意識して発信しています」と語り、街と共に歩む姿勢を鮮明にしている。
45周年を迎えた2020(令和2)年、コロナ禍という試練が訪れた。音が途絶え、店はかつてない沈黙の中に置かれたが、模索の末、無観客ライブの配信という新たな試みに取り組んだ。1970年代にシュガー・ベイブとしてここに出演したことがある山下達郎が自身初となる無観客配信ライブを行い、大きな話題を呼んだ。
「コロナ禍は、ライブハウスの意義を見つめ直す時でもありました。観客を入れたライブが再開できた時に感じたのは、観客がいることで、全く“振動”が違うということ。改めてライブの力を実感しました」と高向は当時を振り返る。「時代に合った形で、とにかく続けていく。これからは音楽への気概がある若いミュージシャンにもどんどん出てほしい」
半世紀にわたり紡がれてきたのは、奇跡ではなく一つ一つの夜と音の積み重ねである。「Live Music JIROKICHI」は今日も、新たな音が生まれる場所として歩みを続けている。
※50周年記念イベント:2026(令和8)年2月1日に開催された『次郎吉 to JIROKICHI-高円寺のライブハウスが歩んだ50年-』出版記念ミニエキシビション&ライブ
『次郎吉 to JIROKICHI -高円寺のライブハウスが歩んだ 50 年-』(株式会社Pヴァイン)