
川井さんの映画愛と映像制作者のこだわりが詰まった「封切り酒場」
高円寺駅から座・高円寺に向かい、その少し先の環七通りとの交差点角にある「高円寺三角地帯」は、撮影スタジオ・原稿執筆カフェ・封切り酒場という三つの顔を持つ小さな文化拠点だ。オーナーの川井拓也さんは、「ここは日によって上映作品が変わる映画館みたいなものなんです」と笑う。毎週金曜(最終金曜を除く)の夜に開店する封切り酒場の店内には映像モニター、洋画・邦画のDVD、パンフレットなどが並び、話の糸口には事欠かない。幼い頃から大の映画ファンで、長く映像制作の仕事に携わってきた川井さんは、どんな話でも受け入れてくれる引き出しの多い人だ。
「公団住宅で育った少年時代、映画は狭い家と親の目から自由になれる”世界をのぞく窓”だった」と川井さんは語る。青年時代から年間100本の映画を見続けていて、スティーブ・マックイーンの「ピンチの時もユーモアを忘れないタフな男」の格好よさや、『ブレードランナー』の映像美に痺れた。
高円寺かいわいに住み始めたのは18年前の2007年。路地や銭湯、地元の人が通う商店街が残り、夢を追いかける若者たちのカルチャーが新陳代謝を繰り返している、そんな新旧が融合する高円寺に魅力を感じた。「庚申通り商店街を歩いて高円寺駅へ通う仕事の行き帰りは、楽しい発見の連続でした」と話す。
そして川井さんの映画体験と街への愛着を詰め込んだ「封切り酒場」を高円寺三角地帯にオープンしたのは2023(令和5)年。でも「僕はマニアックな人間じゃないんです。だから誰とでも楽しく映画の話をしたくて“記憶の入口”をたくさん置くんです」と話す。川井さんのユニークな店づくりの方法と哲学をひも解いていこう。
▼関連情報
封切り酒場(外部リンク)
「高円寺三角地帯」が生まれたのは2019(令和元)年。川井さんが神田で経営していた撮影スタジオが立ち退くことになり、高円寺で元イタリアンレストランの物件に出合った。内装をそのまま生かしたスナック風の室内と、「窓の外の環七も立派な背景になる」と感じ、飲食ができる撮影スタジオとして再出発した。
平日のスタジオ利用が経営の柱となり、2022(令和4)年、空いた週末に「原稿執筆カフェ」を開始。入店時に自分で決めた執筆目標を書き、1時間ごとに店長が声をかけるという独特の仕組みが話題を呼んだ。これまで約2500人が利用し、文章だけでなく絵や動画編集など、多様な創作活動が行われている。「集中して書いている人が集まって、おしゃべりもBGMも無い図書館のような空気の中で書くと驚くほど進む、とみなさん言われます」と川井さんは話す。
▼関連情報
原稿執筆カフェ(外部リンク)
高円寺三角地帯のオーナー川井さんのもう一つの顔が、千代田区神田にある「絶滅メディア博物館」の館長だ。その始まりは高円寺三角地帯の店の一角にウォークマンや携帯電話の旧型機を展示したことだった。現在はJR神田駅近くのビルにコレクションを集約して、家庭で使われなくなった動画カメラ、写真カメラ、パソコン、記録媒体などを展示する私設博物館である。2020(令和2)年頃から家庭で不要になった機器の寄贈を呼びかけ、集まった約4000点のうち3000点と関連書籍1000冊、製品カタログ2500冊を整え、2023(令和5)年1月にオープンした。
展示物は1950〜2000年代の機器が中心で、格子状の棚にメーカー別に並び、映画やドラマで登場した資料と共に紹介される。触ってよし、撮影もOKというスタイルは珍しいが、その写真や動画がネットで拡散され「分散記録」として残ることも狙いのひとつだ。「メディアは記録じゃなくて体験なんです。再生されてこそ意味がある」と川井さんは語る。外国人観光客が来館者の6〜7割を占めるのも特徴だ。マンガやアニメが日本文化の人気コンテンツとして外国人観光客を集めているが、「そのルーツとして日本の失われゆくメディアに関心を向ける外国人来館者が増えている」というのが川井さんの実感だ。
▼関連情報
絶滅メディア博物館(外部リンク)
高円寺三角地帯も絶滅メディア博物館も、川井さんの強い興味と好奇心から生まれた場だ。これらの改善のために川井さんは「最適化」という言葉をよく使うが、そのやり方は独特だ。「店内のお客さんの反応を常に観察して、少しだけ棚の配置を変えたり声の掛け方を変えるんです。それだけで滞在時間が延びたり口コミが広がる。小さな工夫が連鎖して場所のあり方が変わる様子がまるでバタフライエフェクトみたいで楽しいんです」と語る。
封切り酒場には「映画監督作品年表」や「映画鑑賞日記」をきっかけに、初対面の客どうしが語り始める光景がある。映画は世相を映し、個人の記憶も呼び起こす。「高円寺三角地帯や絶滅メディア博物館って、売上より“記憶に残る空間”を維持することが大事なんです」という川井さんが運営する文化拠点は、映画やメディアを通じて、人が過去の自分と出会い直し、新たな記憶を共有する場になっている。気軽にドアを開けてみてほしい。
封切り酒場も絶滅メディア博物館も、川井さんの人柄がそのまま空間に現れていた。知識を語るのではなく、「体験としてどう再生できるか」を大切にし、来る人の記憶が自然と動き出す環境を整えている。「場の最適化」のやり方から川井さんのクリエイティブのスタイルを感じた。
川井さんを今夢中にさせているお宝が、封切り酒場の片隅に置かれたAgfaの映写機だ。横浜のリサイクルショップで見つけた古びた映写機には、1932年1月1日イギリス・サウサンプトン港からニューヨークへ向かう大西洋航路行の客船ベレンガリア号の荷札が付いていた。持ち主は日本人K.SHIMANAと記されている。「この持ち主と映写機の謎を調べているとワクワクするんです」と語る川井さんの表情は、少年時代に「映画という窓」から世界を見ていた少年時代の姿そのものだった。
高円寺三角地帯ホームページ https://koenji-sankakuchitai.blog.jp