小説家・上林暁(かんばやし あかつき)の杉並の野を舞台とした小説。
家族と共に移転先で新生活を始めた「私」だが、生活は困窮、健康も害し閉塞感に苦しむ。そんなときに足が向くのは、家から歩いて行ける明るくのびやかな野。野からさらに遠出することもある。
さまようように歩く中で、白い柵の内側に見え隠れする馬に乗った人物からメリイゴオランド(原文ママ)を想像したり、旗のたなびく野の茶店の前で竹竿を振ってカスミ網に鳥を追い込む男が呪術師に見えたり。なにを見ても現実感がなく、「私」の心象風景として見えてくる。
神学校の構内に立ち入り、生徒のひたむきな表情に青春を感じたり、風致地区で友人たちとの楽しい日々を回顧したり。心境が変化、気持ちが上向きになることもある。
小説中、地名、施設などは架空の名称になっているが、大鷲(おおとり)神社(※1)だけが実名で登場する。最大の悲劇(※2)が起こる前と、とりあえず乗り切れた後の神社での「私」の心境の変化が小説のキーポイントになっている。
上林は、後に著した『自作自解』で「野」について語り、「杉並區内向井町付近の田圃を、私の内的風景と照応させたもの」と記している。出版社勤務を辞め、小説家として立つ決心をしたものの、いったん帰省した郷里、高知に実家の事情で3年間とどまり、ようやく再上京。1936(昭和11)年、天沼に転居してからの苦しい約4年間を(※3)、野を彷徨(ほうこう)したさいの心象風景で構成、小説化した(※4)。
思い通りにいかない中、杉並の自然豊かな風土から自身を立ち直らせていく、共感できる作品だ。
※1 大鷲神社:下井草の出世大鷲神社。大正年間、天沼小字本村に飛来した大鷲を村民たちが仕留めたが、祟りを畏れおとり様として大鷲の剥製を祀った。酉の市には、近隣の住民が集まり、狂言や踊りも催され、にぎやかな祭りが行われていた。現在は地域の有志により11月の酉の市には商売繁盛祈願の熊手が売られている
※2 最大の悲劇:妻の精神の病の発症と入退院。以降、上林は、妻の闘病に寄り添うことを小説の主要なテーマのひとつにした
※3 約4年間:約4年間に、苦境のなかで、『安住の家』で評価を得、荻窪での旧友との再会を描いた『寒鮒(かんぶな)』で、国民新聞の小説コンクールで入賞、小説家としての礎を築いた。『寒鮒』は、阿佐ヶ谷会の仲間、太宰治の『黄金風景』と同時受賞だった
※4 小説化した:上林の向井町の田圃を舞台にした作品には、『野』以降、『野に出て』、『夏野』がある。向井町は、現在、下井草の一部、本天沼の一部となっている