石井桃子さん

子供のための本を追い求めた生涯

石井桃子(いしい ももこ 1907-2008)は、編集・翻訳・創作を通して児童文学の世界に貢献した作家で、杉並名誉区民の一人である。
1907(明治40)年3月10日、埼玉県北足立郡浦和町(現さいたま市浦和区)に生まれた。日本女子大学校(現日本女子大学)英文学部在学中から菊池寛のもとで英文和訳のアルバイトをし、卒業後、菊池が設立した文藝春秋社に入社する。菊池は石井のきちょうめんな仕事ぶりをみて、時の内閣総理大臣・犬養毅の自宅書庫の整理係に推薦した。文藝春秋社を退職後、犬養家の書庫を借りて友人2人と共に小さな児童図書館「白林少年館」を開館。海外の児童文学書を出版する「白林少年館出版部」も設立した。
1939(昭和14)年、文藝春秋社時代の同僚で親友の小里文子(おり ふみこ)から譲り受けた荻窪の家に転居する。戦後しばらくは、疎開先の宮城県で友人と農業・酪農を営んでいたが、岩波書店から請われて東京に戻る。1950(昭和25)年に岩波書店の嘱託社員となり、「岩波少年文庫」の編集責任者となった。翌年、戦時中から書きためていた創作童話『ノンちゃん雲に乗る』が第1回芸能選奨文部大臣賞を受賞。1954(昭和29)年には児童文学界における業績が高く評価され、第2回菊池寛賞を受賞した。
1958(昭和33)年、荻窪の自宅に子供のための私設図書室「かつら文庫」を開設。「子どもと本を一つところにおいて、そこにおこるじっさいの結果を見てみたい」(『石井桃子集5 新編 子どもの図書館』より)と思ったことがきっかけだった。2008(平成20)年に石井が101歳で亡くなった後も、「かつら文庫」は公益財団法人東京子ども図書館の分室として活動を続けている。

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「岩波少年文庫」編集者時代の石井桃子(1953年ごろ)(写真提供:(公財)東京子ども図書館)

「岩波少年文庫」編集者時代の石井桃子(1953年ごろ)(写真提供:(公財)東京子ども図書館)

6人兄妹の末っ子だった石井が70歳ごろに執筆を始めた自伝『幼ものがたり』(福音館書店)。小学校に入学するまでの出来事が生き生きと描かれている

6人兄妹の末っ子だった石井が70歳ごろに執筆を始めた自伝『幼ものがたり』(福音館書店)。小学校に入学するまでの出来事が生き生きと描かれている

杉並区役所1階ロビーで、杉並名誉区民第六号として紹介されている

杉並区役所1階ロビーで、杉並名誉区民第六号として紹介されている

「クマのプーさん」を日本に紹介

犬養家の書庫の整理を任されたことが縁で、26歳の時にクリスマス・パーティーに招かれ、1冊の英語の本に出合った。イギリスの児童文学作家A・A・ミルン著『The House at Pooh Corner』(『プー横丁にたった家』)という作品だった。犬養家の子供たちにせがまれて、その場で日本語に訳しながら話して聞かせた石井は、本を家に持ち帰り本格的に翻訳作業に取り掛かった。この翻訳を楽しみにしていたのが、結核のため療養していた親友の小里だった。小里が33歳の若さで亡くなった後、1940(昭和15)年12月にシリーズ第1話『熊のプーさん』が石井の最初の翻訳書として、1942(昭和17)年6月には続編『プー横丁にたった家』が戦時下の紙不足の中で出版された。
小里との交友を描いた自伝的小説『幻の朱い実』は、構想から8年をかけて87歳の時に出版した作品で、1995(平成7)年に読売文学賞を受賞した。

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石井が犬養家で出合った海外の児童書『プー横丁にたった家』(岩波書店)

石井が犬養家で出合った海外の児童書『プー横丁にたった家』(岩波書店)

海外への留学と旅

1954(昭和29)年8月、47歳の時、「外国の子どもの本の世界を見てこようという気もちになり」(『石井桃子集6 児童文学の旅 』より)、ロックフェラー財団の奨学金を得て留学のため渡米。戦前から文通をしていた児童図書の批評雑誌「ホーンブック」の創立者バーサ・マホニー・ミラー夫人の紹介で図書館などを見学し、ヨーロッパを回って帰国した。
1971(昭和46)年、ビアトリクス・ポター著「ピーターラビット」シリーズの翻訳・出版を開始する。翌年、この作品の舞台となったイギリスを旅し、ポターが暮らしたウィンダミア湖畔などを訪れた。

『ピーターラビットのおはなし』(福音館書店)。石井はポターの英文を理解するため、ポター研究家の話を聞きにイギリスに渡った

『ピーターラビットのおはなし』(福音館書店)。石井はポターの英文を理解するため、ポター研究家の話を聞きにイギリスに渡った

井伏鱒二、太宰治との交流

同じ荻窪に住む井伏鱒二とは文藝春秋社時代に知り合い、家族ぐるみの付き合いをしていた。
「白林少年館出版部」で出版した2冊のうちの1冊はヒュー・ロフティング著『ドリトル先生「アフリカ行き」』で、井伏が翻訳している(のちに岩波書店から出版)。石井が下訳を見せると井伏はすぐに乗り気になり、原文の「ドゥーリトル」(Dolittle やぶ医者)を日本の子供が読みやすいように「ドリトル先生」と訳すなどアイデアを出し、出版に至った。その後も井伏は戦時下の中断を挟んで、シリーズ全12巻を完訳する。
井伏家に出入りしていた太宰治を見知ったのもこの頃で、5、6回ほど会ったという。疎開先で太宰の心中のニュースを聞いた石井は、何よりもまず井伏の胸中をおもんばかった。その後に対面した井伏から「太宰君、あなたがすきでしたね」と言われ、「私なら、太宰さん殺しませんよ」と返答。この言葉について「すきとかきらいとかいうこととは、まったくべつで、一つの生命が惜しまれてならなかった」と残している(『石井桃子集7 エッセイ集』より)。

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すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>杉並の文士たち>太宰治さん

執筆時に利用していた机

執筆時に利用していた机

シリーズ第1巻『ドリトル先生アフリカゆき』(岩波書店)

シリーズ第1巻『ドリトル先生アフリカゆき』(岩波書店)

DATA

  • 出典・参考文献:

    『特集「石井桃子」子どもと本との幸せな出会いを求めて』杉並区立郷土博物館編
    『石井桃子 児童文学の発展に貢献した文学者 ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>』筑摩書房編集部(筑摩書房)
    『石井桃子 子どもたちに本を読む喜びを 伝記を読もう13』竹内美紀(あかね書房)
    『幻の朱い実(上) 石井桃子コレクションⅠ』石井桃子(岩波書店)
    『幻の朱い実(下) 石井桃子コレクションⅡ』石井桃子(岩波書店)
    『石井桃子集5 新編 子どもの図書館 』石井桃子(岩波書店)
    『石井桃子集6 児童文学の旅 』石井桃子(岩波書店)
    『石井桃子集7 エッセイ集』石井桃子(岩波書店)
    『幼ものがたり』石井桃子(福音館書店)
    『家と庭と犬とねこ』石井桃子(河出書房新社)
    『ドリトル先生アフリカゆき』ヒュー・ロフティング作 井伏鱒二訳(岩波書店)
    「杉並名誉区民 石井桃子 生誕110年記念特別展 心にのこるおくりもの」杉並区立郷土博物館

  • 取材:杉野孝文、TFF
  • 撮影:矢野ふじね、TFF
    写真提供:(公財)東京子ども図書館
  • 掲載日:2021年10月18日