丸田康司さん

ボードゲーム総合企業「すごろくや」の起業まで

丸田康司(まるた こうじ)さんは1970(昭和45)年生まれ、愛知県出身。インベーダーゲームなどが人気だったテレビゲーム黎明期(れいめいき)に少年時代を過ごした。上京してゲーム制作者を目指し専門学校で学び、プログラマーとして就職。「六本木にあるセディックという映画の配給なども行う会社に入社し、“テレビゲーム制作室”と言う部署に配属されました」
ボードゲームに興味を持ったのは、テレビゲーム業界にいたこの頃だ。「会社の近くにプレイシングス(※1)というお店があって、そこで会社の先輩たちが購入しては研究していたんですね。それでこの世界に目を向けるようになりました」
その後も、丸田さんはテレビゲーム業界で会社を変わりながら「MOTHER2」「風来のシレン2」「ホームランド」などの開発に関わっていた。だが、15年目にして当時在籍していた会社の人員整理という契機が訪れる。「そこで何を人生の仕事にすれば良いか考えたんです。思いついたのが、ボードゲームの店を拠点とした事業展開。全く違う業界でしたが、自分のキャリアの中で培ってきた企画力を考えたとき、十分可能と思いました」
こうして丸田さんは、ボードゲーム総合企業「すごろくや」を立ち上げた。

▼関連情報
株式会社すごろくや(外部リンク)
株式会社セディックインターナショナル(外部リンク)

株式会社「すごろくや」代表取締役の丸田康司さん

株式会社「すごろくや」代表取締役の丸田康司さん

開発に関わったゲームソフト「不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!」(写真提供:株式会社スパイク・チュンソフト)

開発に関わったゲームソフト「不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!」(写真提供:株式会社スパイク・チュンソフト)

ボードゲームの新しいファン層を積極的に開拓

今の店舗は高円寺北にあるが(※2)、最初は高円寺南の雑居ビルの4階に店を構えた。2006(平成18)年4月のことで、その頃、日本で趣味としてボードゲームに興じる熱心なファンは5,000人程度だったと丸田さんは言う。「僕がターゲットにしたのは、その5,000人以外の新しいボードゲームファンでした」
そのために、まずメディア展開に力を入れた。ブログで店の立ち上げの経緯を発信したり、テレビゲーム業界時代からのつながりを生かし伊集院光さんのラジオ番組に出演したり、客のTwitterフォロワー数に応じた割引を考案して実施したりと尽力した。「新しいもの好きの、情報感度の高い人に注目されるように工夫しました。駅の向かいにあるビルの4階に店を構えたのも、中央線から店内が見えて興味を持ってもらえると思ったからです」
そのかいもあって、女性を含む新しいファン層の拡大に成功。初めは1人で営業していた店も、数年後には会社としての体を成していく。
以後「すごろくや」はボードゲームの総合企業として、販売だけでなく、ゲームの開発、関連書籍の出版、イベントの運営、海外ゲームの翻訳やローカライズなど多岐にわたって事業を展開していく。

現在の「すごろくや」の店内。所狭しとよりすぐりのボードゲームが並ぶ

現在の「すごろくや」の店内。所狭しとよりすぐりのボードゲームが並ぶ

棚には各ゲームを詳しく解説した手作りの冊子が置かれている

棚には各ゲームを詳しく解説した手作りの冊子が置かれている

ボードゲームの魅力を「キャンプ」に例えてみる

丸田さんはボードゲームの楽しさをキャンプに例えて語る。「キャンプって皆でおいしいご飯を食べるために、ものすごい時間をかけて準備するけれど、その“皆で場を構築する”作業も楽しい。ボードゲームも同じで、プレーヤー同士が個々に役割を担いながら支え合う過程に醍醐味(だいごみ)があります」。勝ち負けはゲームという場を動かすための目標でしかなく、肝心なのはいかにプレイヤー同士が互いの魅力を引き出して楽しむか。それがボードゲームの一番の魅力だと言う。「ボードゲームには審判がいません。その上で、ルールをお互い守り、皆がその時間を心地よく過ごすために協力する。それを楽しめて遊べたら、最高だと思います」

丸田さん制作のボードゲーム「赤い糸大作戦」。手持ちの“お手紙”のうち1枚を選んで、他の人のポストに“差し込む=送る”を繰り返す。恋を成就できそうな相手を見定め、ドキドキしながらアクションを起こすタイミングを計るのが楽しいゲーム

丸田さん制作のボードゲーム「赤い糸大作戦」。手持ちの“お手紙”のうち1枚を選んで、他の人のポストに“差し込む=送る”を繰り返す。恋を成就できそうな相手を見定め、ドキドキしながらアクションを起こすタイミングを計るのが楽しいゲーム

高円寺フェスのスタンプラリーの考案者

「すごろくや」を設立したとき、店舗は中央線の中野から荻窪あたりの地域で開こうと考えていた。「サブカルチャーに理解があって、ボードゲームという文化も普及しやすい土地と感じたからです」。今は高円寺の地域にもなじみ、高円寺フェスには実行委員として参加している。「お声掛けは一参加店としてでしたが、意見を言うからにはちゃんとしようと、初年度から実行委員になりました」
高円寺フェスといえば、参加店舗を回って完成を目指すスタンプラリーが大きな名物の一つだ。実はそれを考案したのは丸田さん。「イベントに人が来て町を知ってもらえると、活性化につながります。毎回ルールを変えたり、いろいろ工夫したりして作っているので、“お前の作るものは難しい”と文句も言われますが」と苦笑する。「とはいえ、僕は何かやる時“これが仕事になっていくか?”をまず考えます。高円寺フェスのように無償で何かことに当たるときにも、その作業に相当する責任や対価が生じないというのは害悪だと僕は感じていますから。高円寺フェスの参加については、今は店の若手社員に任せるようにしていますが、仕事につながるかはしっかり見るようにしたいですね」

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並のイベント>高円寺フェス

「高円寺フェス2020」のチラシ。スタンプラリー用紙を手に町を歩き回る人々は、高円寺フェスの象徴的な光景の一つでもある

「高円寺フェス2020」のチラシ。スタンプラリー用紙を手に町を歩き回る人々は、高円寺フェスの象徴的な光景の一つでもある

夢は店舗の全国展開だけでなく…

お勧めのボードゲームについて伺ったところ「人によって相性があります。だからこそ、数ある中から、この人にはこのボードゲームが良いのではないか、と提案できる力が価値を持ちます。“すごろくや”はボードゲームの目利きでありたいですね」という返事があった。そのため、偏ったボードゲーム愛好者は採用しない方針だという。「偏ったゲームが好きな人は、お客さまにゲームをお勧めする時、“分からない人の気持ちが分からない”んですね。いかにその人に合ったゲームを提案できるかが肝です。自分の頭で“なぜそうなっているか”を考えられる人を求めています」
そんな丸田さんの夢は、まずは、現在は高円寺と神保町の2店舗である「すごろくや」を全国展開すること。「昔、模型店が各地にあって、店員から話を聞いて模型に興味を持つ人がいたように、ボードゲームのエキスパートと話して、魅力を知ってもらえるようにしたいんです。何しろ、遊んでみないと面白さが分からない世界ですから」
また、多くの人にボードゲームの制作に必要な知識を教えたいという。自分で作ることでその手間とゲームの価値を知ることができるからだ。丸田さんのプロデュース力は、これからますます、日本のボードゲーム文化を進化させていきそうだ。

取材を終えて
丸田さんは、とても知的好奇心が旺盛な方。そして、物事をよく咀嚼(そしゃく)して考えているのがうかがえる発言に、非常に感銘を受けた。その思考の幅広さは、丸田さんが情熱を傾けるボードゲームの奥深さそのものなのかもしれない。今度、自分に合ったゲームを探しに「すごろくや」に足を運んでみようと思った。

丸田康司 プロフィール
1970年生まれ、愛知県出身。「すごろくや」代表取締役。日本初のテレビゲーム開発者養成学校「ヒューマンクリエイティブスクール」の第一期生。1991年より15年間テレビゲーム開発に従事。2006年、高円寺にボードゲーム専門店「すごろくや」を設立。現在は、神保町にも店を構える。オリジナルゲームの企画制作、書籍制作、ボードゲーム制作ワークショップ、講座、教育対談など、ボードゲームを主軸として活動。

※1 プレイシングス:六本木にあったパズル・ゲーム専門店。日本で初めてドイツ系の近代ボードゲームを輸入し販売した
※2 2022(令和4)年12月に吉祥寺に移転

接客カウンターで、その人に合ったボードゲームを提案する丸田さん

接客カウンターで、その人に合ったボードゲームを提案する丸田さん

DATA

  • 公式ホームページ(外部リンク):https://sugorokuya.jp/
  • 取材:ツルカワヨシコ
  • 撮影:ツルカワヨシコ
    写真提供:株式会社スパイク・チュンソフト
    取材日:2021年06月29日
  • 掲載日:2021年08月23日