阿佐ヶ谷貧乏物語

著:真尾悦子(筑摩書房)

まだ戦後の混乱が続いていた頃の阿佐谷が舞台の女性の回想録。
同人誌に小説を発表し、出版社勤務経験もあった著者の真尾悦子(ましお えつこ 1919-2013)さんは、編集者で夫の真尾倍弘(ましお まさひろ)さんと、共通の知人である作家の外村繁宅で、1947(昭和22)年の1月から翌年の4月まで間借り生活を送っていた。その日の夕飯の食材確保もおぼつかないほど逼迫(ひっぱく)していた食糧事情のもと、乳飲み子をかかえた悦子さんは、空腹に耐えて、足しげく質屋に通った。そんな苦難に満ちた日々の営みが、当時の世相や出版事情を交え、ユーモアあふれる語り口で描かれる。出版は1994(平成6)年と、終戦後からかなりの年月が過ぎていたが、悦子さんの記憶は鮮明だ。
真尾夫妻の職業柄、多くの作家との交流が記されているのが、この作品のもう一つの見どころである。7人の大所帯にもかかわらず、真尾夫妻の他にも間借り人を受け入れた鷹揚(おうよう)な外村繁、1年後の死を予告するかのように「自殺」をほのめかした太宰治など、「阿佐ヶ谷会」(※)の面々を中心に、悪筆だからと直筆原稿を印刷後に焼却するよう念を押した志賀直哉のほか、川端康成、梅崎春生らが加わり、各人各様の興味深いエピソードが披露される。

▼関連情報
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おすすめポイント

バラックの店が立ち並び、混沌とした雰囲気に包まれた終戦後の商店街(現阿佐谷パールセンター)の様子を、悦子さんは店のたたずまいや並べられた商品まで細やかに描き、読者を昔日の阿佐谷へと誘ってくれる。彼女が心惹(ひ)かれた「青面金剛像」と「地蔵菩薩像」は、今もパールセンターの同じ場所に存在している。その前で足を止めれば、過去に思いをはせることができるかもしれない。
主婦の視点が感じられる人間描写にも注目したい。厳しい家計状況にもかかわらず、飲酒をやめられない倍弘さんや、酒を日々の友とする文士や編集者たち。その悲しくもおかしい姿にさりげない批判のまなざしが向けられ、女性にとっての戦後の苦悩が浮かび上がる。

※本作には、井伏鱒二、上林暁、青柳瑞穂、太宰治、藤原審爾が登場する。1948(昭和23)年に再開された集まりには、倍弘さんも参加した

変わりゆく町の姿を見守ってきた二体の石像

変わりゆく町の姿を見守ってきた二体の石像

DATA

  • 取材:村田理恵
  • 撮影:村田理恵
  • 掲載日:2021年05月10日