片岡道子さん

マンドリンに魅せられて

「私にとってマンドリンを弾くことは、言葉で語ることと同じ。気持ちを言葉にする代わりにマンドリンで表現しています」
片岡道子(かたおか みちこ)さんは11歳からマンドリンのレッスンを受け、27歳の時に日本で最初に開催されたマンドリン独奏コンクールで第1位入賞を果たした。以来、国内外で演奏活動を続け、国際的な音楽祭で講師を務めるなど指導者としても活躍している。
高円寺駅から徒歩約5分のところにある「片岡マンドリン研究所」のレッスン室で、マンドリンとの出会いから現在の演奏活動などについて話を伺った。

片岡道子さん。研究所のレッスン室にて

片岡道子さん。研究所のレッスン室にて

マンドリンとの出会い

片岡さんは1941(昭和16)年、兵庫県生まれ。「マンドリンは私が生まれる前から我が家にありました。カメラや加湿器など新しいもの好きだった父が、当時のモダンの象徴だったマンドリンを欲しくて買ったようですが、弾いているのは聴いたことがありませんでした。マンドリンに興味を持ったのは当時大学生だった兄で、比留間きぬ子先生に弟子入りしていました」
比留間きぬ子は、日本で初めて本格的なマンドリン演奏の普及に尽くした比留間賢八(※1)の娘で、マンドリン演奏者・教育者として活躍した人物だ。
「1950(昭和25)年、戦争で中断されていたテレビの試験放送が本格的に始まり、“比留間きぬ子アンサンブル”が出演することになりました。この時私は9歳でしたが、画面に子供の姿があった方が親しみやすいという先生の考えで、姉、私、弟の3人がトライアングル、カスタネット、タンバリンで参加しました。その頃、先生はマンドリン教室の児童科を開きたいとお考えだったようで、“みっこちゃん、マンドリン弾いてみたくない?”と尋ねられました。この一言が私のマンドリン奏者への道の始まりでした。父の楽器は1924年製ですが、今でもレッスンで使っています」

ステージでの独奏(写真提供:片岡道子)

ステージでの独奏(写真提供:片岡道子)

「片岡マンドリン研究所」の開設

⽚岡さんは、⾼校⽣の頃には将来プロになると決めていたという。教室を開くため農林中央⾦庫に就職して5年間資⾦を貯め、1965(昭和40)年4月にマンドリン教室を開設。1968(昭和43)年にはマンドリン演奏者の育成を目的として開催された「第1回日本マンドリン独奏コンクール」に出場して、見事、第1位に輝いた。その翌年、結婚を機に高円寺で「片岡マンドリン研究所」を設立した。「建築家だった義父は研究所の看板を作って応援してくれました。“教室”ではなく“研究所”とした理由は、マンドリンを弾くことが大好きな人はもちろん、マンドリンを愛し、その可能性を追求している人たちが集まる場所にしたい、という思いからです」
片岡さんの演奏活動は多岐にわたる。「1976(昭和51)年に“三重奏団トリオノーボ”を結成しました。リサイタルを11回開催し、各地の音楽祭にも招待されました。“片岡マンドリンアンサンブル”を結成し、国内やヨーロッパでコンサート活動をしてきました」。研究所の発表会も毎年開催している。「昨年は50回目でしたが、幼児から88歳までの方がステージに上がりました。お子さんやお孫さんがマンドリンを習いに来ることも増えています」。自分の好きな曲を弾けるようになりたいと入門する人が多いが、最近は映画で聴いた音楽がきっかけの人もいるそうだ。「マンドリンは見かけがかわいらしいからすぐに弾けるようになると思われがちですが、意外と難しい。それでも、皆さん半年でそれなりに弾けるようになります」。上達のこつは、心を込めて文章を朗読するように楽譜を読むこと。技術を磨くだけではなく、作曲家が何を語ろうとしているのか感じ取る心を育むことも大切だという。

毎年6月に発表会を開催、約50組がステージに立つ。写真は第50回発表会(写真提供:片岡道子)

毎年6月に発表会を開催、約50組がステージに立つ。写真は第50回発表会(写真提供:片岡道子)

ユニークなミニコンサート「話音俱楽部」

片岡さんは、年に数回「話音倶楽部(わおんくらぶ)」というミニコンサートを開いている。観客は25名、自宅リビングが舞台のアットホームな音楽会だ。「コンサートはホールの予約や準備が大変なので、自宅でやったらどうかなと思い立ちました」。1998(平成10)年にスタートし、2019(令和元)年に94回目を迎えた。過去には、マンドリン以外に、ギター、アイリッシュハープ、バラライカ(※2)、津軽三味線、コントラバスなどの弦楽器奏者のほか、フルートやバンドネオン(※3)奏者も登場した。毎年12月の会では、門下生が中心となって二重奏、三重奏、四重奏の新曲を披露。片岡さんも演奏に参加し、曲の解説や選曲の理由について語る、和気あいあいとしたコンサートになっている。15分ほどの中休みには、ワインとカナッペが提供され、「ワインがお代わり自由なので、話音倶楽部をワインクラブと言う人もいるんです」と片岡さんは笑う。開催予定は研究所の公式ホームページに掲載しており、誰でも申し込み可能だ(定員になり次第受付終了)。

バラライカ演奏家、アンドレイ・ゴルバチョフさん。「話音俱楽部」での演奏のあと、自国でもこのようなミニコンサートを開きたいと話していた(写真提供:片岡道子)

バラライカ演奏家、アンドレイ・ゴルバチョフさん。「話音俱楽部」での演奏のあと、自国でもこのようなミニコンサートを開きたいと話していた(写真提供:片岡道子)

「話音俱楽部」2019(令和元)年12月の使用楽器(写真提供:片岡道子)

「話音俱楽部」2019(令和元)年12月の使用楽器(写真提供:片岡道子)

高円寺に暮らして

片岡さんの高円寺暮らしも50年を越えた。「京王井の頭線池ノ上駅近くの閑静な住宅地から引っ越して来た時は、にぎやかな街の雰囲気に驚きました。レッスンの合間に急いで買い物に行きますが、ちょっと歩けばいろいろなお店があって、便利なところです」
今後も自分自身が楽しみながらマンドリンを演奏したいと、居心地の良いレッスン室で微笑む片岡さん。「発表会が100回を迎えることを目標に、これからも続けていきたいですね」

取材を終えて
取材後に、レッスンで使うマンドリンを見せてもらった。サウンドホールから中をのぞくと「Anno(イタリア語で年)1924」と書いてある。足元には、それよりもさらに古めかしい楽器ケース。「こちらも見てみる?」と取り出したマンドリンを、片岡さんが羽根の軸でかき鳴らしたが、その音は100年以上昔の楽器とは思えないほど甘く軽やかなものだった。

※1 比留間賢八(ひるま けんぱち 1867-1936):マンドリン・ギター奏者。音楽取調掛(東京音楽学校。後に東京藝術大学に統合)でチェロを学んだ後、アメリカ、ドイツ、イタリアに留学。1901(明治34)年、帰国後にマンドリン・ギター教室を開く。門下には音楽家の齋藤秀雄、詩人の萩原朔太郎などがいる
※2 バラライカ:ロシアの弦楽器。参考「話音俱楽部第43回 バラライカ演奏」(https://kataoka-mandolin.jp/2007/10/43.html
※3 バンドネオン:アルゼンチンタンゴで用いられることの多い蛇腹楽器。参考「話音倶楽部第89回 バンドネオン演奏」(https://www.kataoka-mandolin.jp/?p=13400

片岡道子 プロフィール
マンドリン奏者。1941年11月、兵庫県西宮市生まれ。杉並区在住。
1952年、比留間きぬ子に入門。1965年、マンドリン教室を開設。1968年、第1回日本マンドリン独奏コンクール第1位入賞。翌3月「片岡マンドリン研究所」を高円寺に設立。1978年、三重奏団トリオノーボを結成し、2000年まで11回のリサイタルを行う。1998年12月より、自宅リビングでミニコンサート「話音俱楽部」を開催。2005年8月以降、「ドイツ・ヴァイカーズハイム国際音楽祭&セミナー」に講師として参加、2014年「ユーロフェスティバル2014 in ブルッフザール」で演奏するなど、国際的にも活躍している。

羽根軸で奏でる古楽器

羽根軸で奏でる古楽器

片岡マンドリン研究所

片岡マンドリン研究所

DATA

  • 住所:杉並区高円寺南3-62-2
  • 公式ホームページ(外部リンク):https://kataoka-mandolin.jp/
  • 出典・参考文献:

    『比留間賢八の生涯―明治西洋音楽揺籃時代の隠れたる先駆者』飯島國男(全音楽譜出版社)
    『20世紀放送史』NHK放送文化研究所編

  • 取材:杉野孝文
  • 撮影:TFF
    写真提供:片岡道子
    取材日:2020年02月28日
  • 掲載日:2020年06月01日