大圓寺(大円寺)

本堂には島津家の「丸に十字紋」、屋根瓦には徳川家の「葵紋」

本堂には島津家の「丸に十字紋」、屋根瓦には徳川家の「葵紋」

徳川家、薩摩藩ゆかりの禅宗寺院

徳川家の「葵(あおい)紋」と島津家の「丸に十字紋」、2つの紋を本堂に頂く寺が永福町にある。泉谷山大圓寺(せんこくざん だいえんじ)。1603年に徳川家康が赤坂溜池あたりに創建し、もとは大渕寺といわれた。開山(※1)は武田信玄の弟、諦巌桂察(たいげん けいさつ)和尚といわれている。1641年、江戸の大火で被害を受け、伊皿子(いさらご 現港区三田・高輪付近)に移転し、大圓寺に改号。1908(明治41)年に現在の場所に移転した。
島津家との縁は、1673年に薩摩藩の世子、島津綱久が江戸で没した際に葬儀を行ったことに由来する。以降、薩摩藩の江戸での菩提寺となり、戊辰戦争(※2)の戦死者や、西郷隆盛の娘・菊草(菊子)、息子・牛次郎など、薩摩藩ゆかりの人々が埋葬されている。島津家は神道に改宗したことに伴い、都城島津家の墓以外は鹿児島に改葬された。


大圓寺本堂の全景。永福町駅北口から徒歩約8分のところにある

大圓寺本堂の全景。永福町駅北口から徒歩約8分のところにある

益満休之助(ますみつ きゅうのすけ)ほか75名が眠る「明治元年戊辰の役戦死者の墓」。幕末の動乱がしのばれる

益満休之助(ますみつ きゅうのすけ)ほか75名が眠る「明治元年戊辰の役戦死者の墓」。幕末の動乱がしのばれる

江戸幕府有力者の墓を擁する寺域

墓地には、薩摩藩ゆかりの墓のほか、「薩摩バンド」と称される薩摩藩軍楽隊(※3)の碑がある。また、徳川幕府と関係が深かったことから、飯野藩保科家などの大名や、五井家、松平家、本多家、土方家の旗本諸家など幕府有力者の墓もあり、歴史好きならずとも興味を引くだろう。墓参には事前の了承は必要ない。
「葵紋」の付いた山門前には2体の小さな仁王像が置かれており、山門側のお堂には、1625年に芝浦の海中から出現したと伝わる塩見地蔵尊の石像が収められている。また、非公開ではあるが、杉並区有形文化財の「大円寺所蔵板碑(※4)群」13基を所蔵している。これは、明治末年に現在の高千穂大学敷地を整備した際に採取したものと伝えられる。
年間行事は檀家信徒を対象としており、一般を対象とする行事はないが、4月の花祭り(※5)には本堂の前にしつらえを用意し、一般参拝者を受け付けている。

宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来坐像

※1 開山:寺を開いた僧
※2 戊辰(ぼしん)戦争:1868-1869。薩摩藩・長州藩・土佐藩らと、旧幕府勢力らが戦った内戦
※3 薩摩藩軍楽隊:1869(明治2)年、イギリス海軍軍楽隊長のフェントン(John William Fenton)の指導を受け薩摩藩が編成した楽隊で、最初の近代軍楽隊とされる
※4 板碑(いたび):仏教で使われる供養塔
※5 花祭り:釈迦の誕生を祝う法要

日本初の近代的な軍楽隊「薩摩バンド」の碑

日本初の近代的な軍楽隊「薩摩バンド」の碑

飯野藩保科家の墓

飯野藩保科家の墓

仁王像は門内に安置されていることが多いが、大圓寺の仁王像は門前でにらみをきかせている

仁王像は門内に安置されていることが多いが、大圓寺の仁王像は門前でにらみをきかせている

DATA

  • 住所:杉並区和泉3-52-18
  • 電話:03-3321-1215
  • FAX:03-3321-1266
  • 最寄駅: 永福町(京王井の頭線) 
  • 公式ホームページ:http://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007862.html
  • 出典・参考文献:

    『杉並の寺院』杉並区教育委員会

  • 取材:OKIKAKI
  • 撮影:syaeido
  • 掲載日:2019年05月13日