金田一秀穂さん

学者一家の三代目は、祖父の代から杉並人

金田一秀穂さん(きんだいち ひでほ、以下金田一さん)は、杏林大学外国語学部教授を務める言語学者だ。祖父の金田一京助さん(※1 以下京助さん)、父の金田一春彦さん(※2 以下春彦さん)も、ともに著名な学者である。杉並との縁は、岩手県出身の京助さんが杉並に居を構えてからで、金田一さんは生まれも育ちも杉並だ。
生まれながらにして、学者の三代目という看板を背負っていた金田一さんだが、父の春彦さんに勉強しなさいと言われたことはなかったとのこと。ただ、その家系ゆえに思うことはあったようだ。「自分に対し、祖父、父と同じように偉いことをするだろうと期待している人や、三代目という看板だけを見て、ひいき目で接する人がいました。“本当の自分を知ってほしいな”と思っていました。でも、プレッシャーとは違いますね。親切にしてもらったことも多く、恵まれていました。今もいろいろな場に呼ばれるのは、祖父や父の存在あればこそだと思います」

※注釈は記事最後に記載

執筆からテレビ出演まで、幅広く活躍する金田一秀穂さん

執筆からテレビ出演まで、幅広く活躍する金田一秀穂さん

日本語学者への道は、外国暮らしへの憧れから

金田一さんは、区立西宮中学校、都立西高等学校と、中高を杉並で学び、上智大学文学部心理学科に進学する。学者への憧れはあったが、日本語を研究する意思はなかったそうだ。卒業後は、パチンコで書籍代などを稼ぎつつ、読書三昧の日々を3年間続けた。当時は「高等遊民」(※3)が理想の生活形態だったという。
そんな金田一さんに、韓国を旅行したことで意識に変化が訪れた。「私が韓国を訪ねたのは、1980(昭和55)年5月に起きた光州事件(※4)の数か月前。その時、日本語を話す親切なおじいさんに出会いました。日本語は彼にとって抵抗のある言葉(※5)のはずですが、その言葉で話し掛けてきたことで私を受け入れてくれたのだと思いました。韓国で日本語を意識したことは、私のターニングポイントだったのかもしれません」
外国を訪ねる面白さに目覚めた金田一さんは、現地に滞在するための手段として、日本語教師になることを目指し、東京外国語大学大学院で日本語の勉強を始める。「日本語への思い入れがあったわけでなく、めしのタネ的な感覚です。でも勉強してみたら、これが面白かったんです」。日本語学者金田一さん誕生への第一歩である。
卒業後は、中国の大連外国語学院(現・大連外国語大学)で教鞭をとる。「当時の中国は、文化大革命(※6)後に大学が復活して、教育熱が高まりを見せていた頃です。私が教えた学生たちは、本当に賢くて、上達が早かった。優秀な生徒に教えることができてラッキーでした」
その後、アメリカのコロンビア大学などで日本語を教え、杏林大学外国語学部教授への招へいを機に帰国する。大学での専門の一つが、日本語教師の養成だ。

大人に囲まれ、少し緊張気味の金田一少年(写真提供:金田一秀穂さん)

大人に囲まれ、少し緊張気味の金田一少年(写真提供:金田一秀穂さん)

中国の大連外国語学院の学生たちと(写真提供:金田一秀穂さん)

中国の大連外国語学院の学生たちと(写真提供:金田一秀穂さん)

教育の場は大学にとどまらず、国際交流基金(※7)で、海外で日本語を教える外国人のための講座の講師を務めている。生徒から教わることが多く、教えることと同じくらい楽しい体験とのこと(写真提供:金田一秀穂さん)

教育の場は大学にとどまらず、国際交流基金(※7)で、海外で日本語を教える外国人のための講座の講師を務めている。生徒から教わることが多く、教えることと同じくらい楽しい体験とのこと(写真提供:金田一秀穂さん)

フットワークの軽さで世界を広げる

父親に背中を押されて
今でこそマスコミに頻繁に登場する学者といったイメージがある金田一さんだが、48歳までは大学教授オンリーの生活だった。「教えるのが好きで、十分楽しかったのですが、著述活動だけでなくテレビ出演も多かった父が、それではつまらないのではないかと言い出して。文章を書くことには、興味だけでなく自信もあったので、父のなじみの編集者との縁で、49歳の時に『週刊現代』で連載を始めました。それを読んだNHKのプロデューサーから、“日本語なるほど塾”(※8)という番組の、“ことばのクイズ”の解説役として出演を依頼され、テレビデビューとなりました。声が掛かったのには、金田一というネームバリューもあったと思います」
何よりもうれしい、人との出会い
その後の金田一さんは、多くの著書を通して、日本語の面白さを平明な言葉で伝え続けると同時に、テレビ出演の機会も増えていく。「クイズ番組で間違えてばかりいるとか言われ、恥じ入ってしまったこともありますが、テレビに出ることでさまざまな人と知り合いになることができました。回答者として出演した“クイズプレゼンバラエティー番組Q
さま!!”(※9)では、お笑いが本職の回答者の頭の良さに刺激を受けました。また、NHKのラジオ番組“ラジオ深夜便” (※10)で作詞家と対談しているのですが、相手の話を聞くのに夢中になってしまい、ディレクターに“金田一さん、もう少し話したほうがいいのでは”と言われたこともあります」
金田一的理想の図書館とは
さらに金田一さんは、2018 (平成30) 年度より甲府市にある山梨県立図書館の館長に就任した。「不登校の子供、お年寄り、外国人さらにホームレスの人など、あらゆる人に開かれ、社会の隅っこにいて見えない人たちに、ささやかな救いの場を提供するのも、図書館の役割りなのではないかと思っています。誰もが活字や映像に接することができる、オープンで気持ちの良い場所、そしてコミュニティーの中核になる場所。そういう図書館をぜひ作りたいですね」と金田一さんは、思い描く図書館像を語る。

多数の著書には、日本語への愛情がつまっている

多数の著書には、日本語への愛情がつまっている

「新俳句大賞」(※11)の審査員を務めたり、盛岡で文士劇を上演したりと、さまざまなことに挑戦

「新俳句大賞」(※11)の審査員を務めたり、盛岡で文士劇を上演したりと、さまざまなことに挑戦

人との距離の近い町で生活を楽しむ

金田一さんは松庵で生まれ、現在は成田東に居住している。親しみのある街は西荻窪と阿佐谷だ。「阿佐谷は、個人商店の多いところが好きです。個人商店は客と店の人との距離が近く、双方が互いに丁寧な対応することから暖かさが生まれます。私は今、豆を煮ることに凝っていて、パールセンターの乾物屋の“川口屋”によく足を運びます。豆初心者だった私は、ご主人に豆について教えてもらい、今では通り掛かると声をかけてもらえる仲になりました。私のプライベートタイムは、朝風呂、料理、散歩と買い物、昼寝が中心で、阿佐谷はそれを満喫するのにまさにうってつけの街ですね」

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部>食>惣菜・飲料・その他>高橋菓子店

西荻窪にある和菓子屋「高橋菓子店」の店主と。子供の頃の思い出の残る店(写真提供:金田一秀穂さん)

西荻窪にある和菓子屋「高橋菓子店」の店主と。子供の頃の思い出の残る店(写真提供:金田一秀穂さん)

言葉に感じる人間の素晴らしさ

最後に、金田一さんにとっての「言葉の魅力」を語っていただいた。
「日本人が母語である日本語に魅力を感じるのは当たり前のこと。そして、世界のすべての人が自分の母語に愛着を感じることができれば、それは本当に幸せなことだと思います。私が好きなのは、日本語全部。そして、嘘のない言葉。人が心からそう感じて発した言葉は、魅力的で正しいと思います。お母さんが赤ちゃんに語り掛ける言葉は、相手にわかってもらえなくても思わず言いたくなるもので、強制されて発しているわけではありません。そして赤ちゃんは、お母さんが自分に話し掛ける心地よい声を聴いてまねするようになり、言葉を覚えていきます。すごいことです。私にとってお母さんの言葉は、人間の素晴らしさにあふれた“最高の言葉”です」

▼関連情報
すぎなみ動画>杉並ゆかりの文化人 アーカイブ映像集>日本語学者 金田一秀穂さん(外部リンク)

取材を終えて
絶やさぬ笑顔と気取りのない口調に、学者と話していることをつい失念してしまったひと時だった。言葉への愛情を語り、著名人との出会いを素直に喜び、豆が縁での商店主との交流を披露する。会話のはしばしに、気さくで、人を引き付ける魅力があふれていた。金田一さんの理想の図書館が実現したら、ぜひ足を運んでみたい。

金田一秀穂 プロフィール
1953年5月5日、東京都杉並区生まれ。杏林大学名誉教授、専門は言語学。上智大学文学部心理学科卒業。東京外国語大学大学院博士課程修了(日本語学専攻)。大連外国語学院、コロンビア大学などでの日本語教師を経て現職。著書多数、テレビ出演も多い。2022(令和4)年4月より「すぎなみ地域大学」3代目学長に就任。


※1 金田一京助:(1882-1971)言語学者、民俗学者。アイヌ語の研究で知られる。文化勲章受章者
※2 金田一春彦:(1913-2004)言語学者、国語学者。国語辞典の編纂、方言のアクセント研究で知られている
※3 高等遊民:大学などで高等教育を受けても、経済的に不自由がないので労働に従事せず、読書などをして自分の趣味を追求する生活を送る人のこと。明治時代から昭和初期にかけて多く使われた言葉。夏目漱石が作中にしばしば用いた
※4 光州事件:1980(昭和55)年5月18日から27日にかけて、韓国の光州市を中心として起きた民衆の蜂起
※5 抵抗のある言葉:日本統治時代(1910-1945)に、日本語教育を受けた韓国人は日本語を話せるが、彼らにとっては統治者に強制された言葉でもあった
※6 文化大革命:中国で1965(昭和40)年から約10年間、毛沢東主導下で展開された政治・権力闘争
※7 国際交流基金:日本の外務省が所管する独立行政法人。日本語国際センターでの外国人向け日本語教師の育成が事業の柱の一つである
※8 日本語なるほど塾:2004(平成14) 年から2005(平成15) 年まで、NHK教育テレビ(現Eテレ)で放送された日本語をテーマとした教養番組
※9 クイズプレゼンバラエティーQさま!!:2004(平成14)年10月7日から、テレビ朝日系列で放送されているクイズバラエティー番組。金田一さんのキャッチフレーズは「日本語の神様」
※10 ラジオ深夜便:NHKラジオ第一放送、FMラジオ放送、ラジオ国際放送で放送されている深夜放送番組。2017(平成17)年5月より始まった「謎解きうたことば」では、金田一さんが「ことば探偵」になり、作詞家と対談し、紡ぎ出される言葉の魅力の謎解きに挑んでいる
※11 新俳句大賞:「伊藤園 お~いお茶新俳句大賞」。伊藤園が主催し、1989(平成元) 年より伝統的な俳句の形式にとらわれない作品を募集している。金田一さんは、2018 (平成30)年受賞作品の審査員を務めている

言葉への愛情を語る時、口調が熱を帯びる

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