木原秋好さん

見ているだけでは面白くない

木の伐採や間伐、植樹、下草狩りや林道作りなどを学ぶ、「すぎなみ地域大学」森林ボランティア育成講座。「斜面で踏ん張りながら作業をするのは大変ですが、山が好きなので苦じゃないですね」。そう話すのは、元NHKアナウンサーで、すぎなみ地域大学学長・木原秋好(きはらあきよし)さん。「見ているだけでは面白くない」と、自らも受講生として講座に参加している。「森林のことは多少知っていましたが、技術的なことは全然知らなかったので、それを学びたいと思って。やりがいがありますよ」

「すぎなみ地域大学」学長・木原秋好さん

「すぎなみ地域大学」学長・木原秋好さん

山登りをきっかけに、今も仲間との交流が続く

木原さんが山好きになったのは中学3年生の頃。当時、長崎の親元を離れて単身上京し、阿佐谷にあった父親の知人宅へ下宿していた。「区立杉森中学校に通っていました。なかなか友だちができなかったので、先生が山に誘ってくれて、それがきっかけで友だちと山登りをするようになりました」。無謀にも冬山に登って、帰れなくなったこともあったという。「奥秩父の山に登ったのですが、日が暮れて下山できなくなって、雪を掘って野営しました。行く時は楽しかったけど、帰りは半べそ。怖かったですね。帰ってから先生に“死ぬぞ”って怒られました。昔は今ほど山登りをする人もいなかったので、登山道も獣道のようなところが多く、本当は秋に登って道に目印をつけておかなくてはいけなかったんです」
山の怖さを知ってからも相変わらず山は好きで、近年まで登山を続けていたそう。「山は都会の生活と全然違うものがあっていいですね。登るだけじゃなくて、テントを張って泊まったりするのも面白かったのかな。今も、山登りの仲間とは付き合いがありますね」

山登りの仲間と。左から3番目が木原さん(写真提供:木原秋好さん)

山登りの仲間と。左から3番目が木原さん(写真提供:木原秋好さん)

学生運動とよど号ハイジャック事件

中学校を卒業後、都立西高等学校を経て、東京大学へと進学した頃、ようやく家族が長崎から上京する。「それまでずっと一人だったので、一人暮らしは慣れていますが、あまり好きではありません。グループで群れ集うのが好きですね」
大学では映画サークルで仲間たちと映画制作に打ち込んでいたそうだ。一方、当時は学生運動が盛んな時でもあった。「入学して1年間ぐらいは静かでしたが、その後は大学に機動隊が入り乱闘があったり、授業もなくなってしまいました。僕も立川基地のデモに参加したりしましたが、そのうち党派ができて、党派同士の争いが起こるようになってからは、すっかり嫌気が差しました」
その頃、よど号ハイジャック事件(※1)が起こる。「実は僕、あの飛行機に乗っていたんです。祖母が亡くなって長崎へ帰るため、キャンセル待ちをして乗ったんです。そうしたら連れて行かれてしまって、祖母の葬式どころではなくなってしまいました。いくら世の中を変えたい、革命を起こすといっても、多くの人の犠牲を強いて、しかも逃げるためにこんなことをしていいのかって憤りを感じましたね。でも後から、同じ飛行機に乗っていた医師の日野原重明先生が、自分の命は自分のためだけでなく人のために使おうと、あの時に決心されたと聞いて、僕はそういうことは全く思わなかったので、素晴らしい人は考えが違うなと思いましたね」

※1 よど号ハイジャック事件:1970(昭和45)年3月31日に、共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件

クラスでデモに参加する前の様子。「ヘルメット、学制帽、鉢巻、まだてんでさまざまで和やかなころですね」(写真提供:木原秋好さん)

クラスでデモに参加する前の様子。「ヘルメット、学制帽、鉢巻、まだてんでさまざまで和やかなころですね」(写真提供:木原秋好さん)

映画サークルの仲間と。サングラスをかけているのが木原さん(写真提供:木原秋好さん)

映画サークルの仲間と。サングラスをかけているのが木原さん(写真提供:木原秋好さん)

長崎弁で苦労したアナウンサー時代

大学を卒業後、在学時の映画サークルでの経験から、テレビ番組を作りたいという思いを持ってNHKに入局。ところが、希望していたディレクターではなく、アナウンサーとしての採用だった。「長崎弁も残っていたし、とてもできないと迷いましたが、嫌になったら辞めればいいと気楽な気持ちで入りました」
最初の勤務地は、香川県の高松放送局。天気予報やお知らせの担当から始まり、ニュースを読むようになった。「下手くそなアナウンサーが出てきて、たどたどしくやるわけです。申し訳ないくらい。長崎弁のアクセントを注意されても、何が悪いのかわからなくて苦労しました」
4年後の1976(昭和51)年に秋田放送局へ移動。当時は国の減反政策がはじまり、日本の農業が転換期を迎えていた頃であった。
「国は大規模農業を行うためのモデルとして、秋田に大潟村という大規模農村を作っておきながら、急に生産を減らすようにと政策変更したため、農家が抵抗した時でした。農家の人たちと知り合いになって、いろんな話をしました。米を作りながら乳牛を飼うにはどうしたらいいか、とかね。それまで、秋田では冬になるとみんな出稼ぎに行っていましたが、出稼を辞めて牛を飼い始めた農家もあったので。秋田ではそういうロケが思い出深いですね」
その後も東京、函館、広島と各地の放送局に勤務し、各地のニュースを伝えてきた。

高松放送局時代、船旅での1枚。地方局では家族であちこちに出かけた思い出も多い(写真提供:木原秋好さん)

高松放送局時代、船旅での1枚。地方局では家族であちこちに出かけた思い出も多い(写真提供:木原秋好さん)

出会って良かったと思える学校

2012(平成24)年、「すぎなみ地域大学」の学長に就任した。「地域活動を取材することはありましたが、自分自身は地域活動の経験がないし、地域大学のことも知らなかったのでお断りしたのですが、前任の学長・松田輝雄さんが高松放送局時代の先輩で、頼まれると頭が上がらなくて」。そう言いながらも、森林ボランティア講座を受講したり、地域活動のためのコミュニケーション講座の講師も務めるなど、積極的に活動を楽しんでいるように見える。
「地域大学の講座を受講される方にはとても感謝しています。自分のために、地域のために、勧められてなど、皆さんさまざまな動機で参加されていますが、本当に嬉しく思っています。いつも講座の初回には、“ようこそいらっしゃいました”と感謝を込めて挨拶しています」
木原さんにとって地域大学は、「出会って良かったと思える学校」だという。「初めて知ることや、いろんな受講者の方とお話ができて、新しい発見もありました。ぜひ皆さんも気軽にのぞきに来てください。気が合う人に出会えるかもしれませんし、そこから始まることもあると思います」

取材を終えて
何事にも興味を持って取り組んでいる木原さん。静かな物腰の中に、少年のような好奇心があふれているようだった。知らないことを知る、学ぶことの楽しさを知ることで人生は豊かになるのだ、と教えられたような気がする。取材のプロに取材をするということで緊張したが、こちらの質問に考え考え丁寧に答えてくださるのが印象的だった。

木原秋好 プロフィール
1947(昭和22)年、長崎県長崎市出身。都立西高等学校、東京大学を卒業後、NHKに入局。アナウンサーとして活躍し、NHK放送研修センター・日本語センター専門委員を務める。2012(平成24)年、「すぎなみ地域大学」の学長に就任。

「年をとっても、知らないことを知ることは面白いです」とうれしそうに語る木原さん

「年をとっても、知らないことを知ることは面白いです」とうれしそうに語る木原さん

森林ボランティア育成講座で活動する様子(写真提供:すぎなみ地域大学)

森林ボランティア育成講座で活動する様子(写真提供:すぎなみ地域大学)

DATA

  • 取材:坂田未希子
  • 撮影:TFF
    写真提供:すぎなみ地域大学
  • 掲載日:2018年03月05日