勅使川原三郎さん

いたずら好きの少年時代

東京の渋谷区に生まれました。絵を見たり、話を聞いたりするのが好きな子供でしたね。それと、よく子供がふざけることに毎日の精力を費やすように、僕も「自分の動きで人がどんな反応をするのか?」という試みをよくやっていました。弟と普通に話している最中に、突然転んでみる。そうすると、弟はビックリするというよりも大笑いする。どうやったら赤ん坊を遠くから泣かすことができるか、そんなこともよくやりましたね。
昔から、自分から行動を起こして人の反応を見ることに興味がありました。表現したいというよりも、自分が何かをやることで相手の反応を見る。ルールを逸脱し、範囲を超えた結果の面白さを発見することは今でも変わらず好きです。

ダンサー・勅使川原三郎さん

ダンサー・勅使川原三郎さん

ダンスは自分を客観視すること

20歳の頃に始めたクラシックバレエが自分の基礎になっています。ダンスを人に見てもらうというよりは、自分の身体を自身で見つめる対象にしようと考えていました。ただし、鏡や映像で動きを見る以上に、自分自身の身体を動かし踊ることによって内面を見るといった感覚。本当の意味で自分を客観視することでダンスが作られていくと思います。

土に埋まるパフォーマンス
1980年代、“パフォーマンス”(※1)という呼び名の自己実験が流行しました。自分を対象にして、実体験することで意味を探ってみようとする試みですね。ダンスの場合は「動く」ことを模索するわけです。だから、新たな動きがどのように生まれるか、そんな未知な部分に興味がありました。そこで、逆に一番動かないことをしようと考えました。それが、土に埋まってしまう試みでした。
福島県の山奥で行われたパフォーマンスのフェスティバルで、川の近くに自分自身の身体を土に埋めてみました。その時最初に感じた土の圧力はすごいものでした。次に土の中だと呼吸することによって自分の周囲の土が動くことに気づきました。面白かったのは途中で豪雨になったこと。川の水かさが上がって最悪の状態になっても自分では出られない。一方でその恐怖すらも楽しんでいる自虐的な自分もいました。土が雨を吸うことによって粘土質になると、さらに身体への圧力は増しました。土に入って8時間後、本当に怖くなって引き上げてもらったとき、100歳になったかと思ったくらい筋力は収縮して、冷えて身体が動きませんでした。やがて時間の経過とともに何かに身体が支えられてるような感覚に包まれ、それが空気だと分かりました。その体験はとても新鮮でしたね。それ以降、皮膚で空気を認識するようになり、今でも空気に対して尊厳や、身体を支えてくれていることへの感謝がありますね。

※1 パフォーマンス:既成の芸術の枠組みをはずれて行われる、身体の行為を伴う芸術表現

国内外で精力的に活動中

国内外で精力的に活動中

KARAS結成

1985(昭和60)年にダンスカンパニー「KARAS(カラス)」を結成しました。翌年にフランスで新しい創作ダンスのコンクール(※2)があり参加しました。周りからは「1位を狙えるよ」と言われていましたが、結果は2位でした。審査員に理由を聞くと、即興が多すぎるということでした。今では即興のダンスは市民権を得たけれど、当時は全く認められていませんでした。僕は自分で振り付けの概念を変えたい気持ちが強かったんです。即興のダンスは、瞬間的な思いつきとは実は違います。自分が持っている動きを順次、再構成していくものだと思っています。ダンスは言語を使う表現ではなく、身体を使う表現ですから、現実をシャープに切り取ります。即興はその極北といえますね。

アートスペース「KARAS APPARATUS」
2013(平成25)年に、荻窪に「KARAS APPARATUS(カラス アパラタス)」を開きました。ここは24時間365日、稽古もできるし、ギャラリーとしても使えるし、公演もできます。数年もやっていると、昼間遊びに来る人もいるし、地元のおばちゃんが自転車で前売りチケットを買いに来たり、おじさんが怪しげに見てたりと、面白い発見も多いです。「KARAS APPARATUS」ではワークショップも行っています。杉並はアーティストが多いから、アート活動がもっと盛んになるといいですよね。

※2 1986(昭和61)年に開催されたバニョレ国際振付コンクール

劇場、スタジオ、ギャラリーが設備された「KARAS APPARATUS」

劇場、スタジオ、ギャラリーが設備された「KARAS APPARATUS」

「KARAS APPARATUS」の壁に飾られたカラス

「KARAS APPARATUS」の壁に飾られたカラス

勅使川原三郎さんと杉並

杉並は、JRの駅ごとにキャラクターが違っていていいですよね。でも、どの駅でも全然変わらない部分もある。元々、ライブハウスが多い地域だし、散歩するのにもよいところがある。僕は、高円寺、阿佐谷、荻窪、西荻窪と、JR4駅全部の周辺に住んだくらい杉並は好きです。今は荻窪が一番です。荻窪は南と西で全然景色が変わるところもユニークですね。「KARAS APPARATUS」がある荻窪のすずらん通りも、90年代に比べて活気が出てきましたよ。商店街は、人の生活によって作られている。商店街も生きているんだと感じます。1975(昭和50)年に、寺山修司が阿佐谷で路上演劇の「ノック」(※3)をやりましたが、そういったことも街の活気につながるんでしょうね。

▼関連情報(※3)
すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>杉並を駆け抜けた人々>寺山修司さん

「KARAS APPARATUS」は荻窪駅から徒歩約3分、すずらん通り商店街にある

「KARAS APPARATUS」は荻窪駅から徒歩約3分、すずらん通り商店街にある

ダンスについて

僕の場合、辛さにスピードを感じたり、痛みと匂いがリンクすることがあります。これは、身体的な感覚でしょうね。中学生のときに、友達と部屋を真っ暗にして「ワーッ」と騒いだことがありました。その時に、友達の頭が僕の鼻にぶつかりました。すると、なにかの煙をかいだようなすごく変な匂いを感じた。鼻をぶつけた痛みが匂いを呼び覚ましたんだと思います。
何かを感じるということは、目だけで感じているのではなく、匂いとか、音、重力、いろいろな部分で感じていることだと思います。ダンスの動作の中で重要なのは動きの軌跡ではなくて、動きから何を感じるかだと思っています。
僕は、ある年代から自分に対してアルバイトを一切禁止しました。ダンスや身体的なことをやろうとしているから、それ以外はやっちゃいけないと思ったんです。いろいろな余計なものを持つよりは、 裸一貫ぐらいがちょうどいいと思っています。伝えたいことは、自分で自身をたたき上げればどうにでもなるってことでしょうか。

取材を終えて
勅使川原三郎さんと対面し、1時間ほど話を伺う。何かを説明する際に、自然と動く身ぶりや手ぶりすら美しい。そういった部分からも勅使川原さんとダンスの親和性の高さを感じた。ダンスの概念を説明する言葉も多く持っており、感覚を理論的に説明できる稀有(けう)な方でもある。この取材を通して、すっかり勅使川原ファンになった。公演にも行き、YouTubeで動画を見たりしている。

勅使川原三郎(てしがわら・さぶろう) プロフィール
1981年より独自の創作活動を開始。1985年、宮田佳と共にKARASを結成し、既存のダンスの枠組みではとらえられない新しい表現を追求。類まれな造形感覚を持って舞台美術、照明デザイン、衣装、音楽構成も自ら手掛ける。光・音・空気・身体によって空間を質的に変化させ創造される、かつてない独創的な舞台作品は、ダンス界にとどまらず、あらゆるアートシーンに衝撃を与えるとともに高く評価され、国内のみならず欧米他、諸外国の主要なフェスティバルおよび劇場の招きにより多数の公演を行う。

「ダンスはあらゆるものと関わることができる」と語る勅使川原さん

「ダンスはあらゆるものと関わることができる」と語る勅使川原さん

DATA

  • 取材:ヨシムラヒロム
  • 撮影:嘉屋本 暁
  • 掲載日:2018年03月05日