石井功樹さん

「誰にでも、自分に合ったスポーツは必ずあります!」

石井功樹(いしいこうじゅ)さんが普及に努めている「ユニカール」とは、「ユニバーサル・カーリング」の略、つまり「みんなのカーリング」ということ。おおげさでなく、体力がなくても、腰が曲がっていても、肢体が不自由でも、知的障がいであっても、みんなが楽しめるスポーツだ。中学校教諭として定年まで勤め上げ、「退職後は障がい者スポーツをやろう」と決めていた石井さん。ユニカールに出会い「これだ!」と決めて以来、一人でも多くの人にユニカールを通してスポーツを楽しむ機会を持ってもらいたいと精力的に普及活動を行っている。
「今の時代、その年齢や体力に応じて、楽しめるスポーツがいっぱいあるんです。『何かやりたいな』と思ったら調べてみてください。自分に合うスポーツは必ずあります。」

石井功樹さん

石井功樹さん

ルールも道具も参加者に合わせて

スウェーデン発祥のユニカールは「床のカーリング」とも呼ばれる。3人1組で対戦し、10m先の3重の円に向けてストーンを投げて、中心の円に最も近いストーンが点の対象となる。「みんなができるスポーツ」にするため、石井さんは参加者に合わせてルールを柔軟に変えている。例えば筋力によって投げる位置を前後させたり、回数を少なくする。手の不自由な方のための、ストーンを放す位置だけを決めれば投げられる「すべり台」も石井さんのお手製だ。「投球ラインをはみ出ようが、重要なのはそこではない。ストーンが当たってカーンとなる音が楽しい。楽しみのレベルをみんなでそろえて、ルールをその人に合わせることが大原則です。」と石井さんは言う。

石井さんお手製の補助器具「すべり台」(写真提供:石井功樹さん)

石井さんお手製の補助器具「すべり台」(写真提供:石井功樹さん)

教員時代の生徒との出会い

石井さんがユニカールと出会ったのは定年を迎える5年ほど前。退職後は障がい者スポーツに携わりたいと考えていたところ、荻窪体育館で行われていたユニカールのイベントを見て「これだ!」とひらめいた。障がい者支援施設などでレクリエーションとしてボウリングがよく採用されているが、それと似ているユニカールならできると直感したのだ。
そもそも石井さんが障がい者スポーツに関心を持ったのは、教員時代の生徒との出会いがきっかけだ。新人教員の頃、学生時代から器械体操をやっていた石井さんは体操部の顧問をしていた。そこに片脚が不自由な男子生徒が「入りたい」と希望してきたのだ。跳び箱もマットもできないが、鉄棒ならと始めたところ、東京都の大会でも好成績を残すほどに成長した。また、別の中学校では知的障がいのある生徒を受け持った。その生徒との関わりの中で障がい者支援への思いはさらに高まっていったのだ。
「障がい者にとってスポーツを楽しむ機会はとても少ない。うまくなるのは二の次で、スポーツをする機会をつくるのが今の自分の仕事。」と語る石井さん。毎日のように車に道具を乗せて、あちらの体育館、こちらの支援施設へと足を運ぶ。

荻窪体育館でのシニア向け教室にて、石井さんの投球フォーム

荻窪体育館でのシニア向け教室にて、石井さんの投球フォーム

全力で喜ぶ姿が嬉しくて

「よっしゃーーー‼‼」
今日も体育館には元気な声が響き渡る。狙った位置にストーンが入ったり、相手チームのストーンを外に弾き出したりするたび、投げた本人が喜ぶのはもちろん、相手チームからも称賛の拍手が送られる。
「障がい者スポーツに携わっていると、心に跳ね返ってくる場面がとても多い。全力で楽しんでくれている姿を見るのが嬉しくて、ここまでのめり込んでしまった。」もちろん喜び方は人それぞれで、なかには接触を嫌う人もいるので勝利のハイタッチにも気をつける。
石井さんはユニカールの指導にあたって、2つのポイントを挙げる。まずは、とにかく褒めること。そして、指導者もヘルパーも保護者も、みんなで参加すること。競技スポーツというよりレクリエーション要素の強いスポレク競技だからこそ、なにより楽しむために、褒めて喜びを体験してもらう。「次の教室にまた来るということが大切です。来ただけでいい、やらなくてもいい。来たということは純粋に楽しいから来ているんです。」だからこそ、すだちの里のユニカール教室は毎月開催して、スポーツを楽しむ機会を日常のなかにつくっている、

知的障がい者支援施設「すだちの里」での教室風景

知的障がい者支援施設「すだちの里」での教室風景

目指すは2020東京オリンピックオープン競技

まだ日本ではユニカールの認知度が高いとは言えないが、2013(平成25)年には上井草スポーツセンターにて、東京国体と同時開催の「第13回全国障害者スポーツ大会」で、オープン競技(※)として実施された。出場者は「ほとんどが私の教え子だった」と胸を張る石井さんのさらなる目標は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会でのオープン競技採用だ。それもパラリンピックではなく、オリンピックで健常者と障がいのある選手が一緒に参加することである。
ユニカール協会の立ち上げから携わっている石井さんだが、組織的に活動しているのはまだ杉並区など数か所だ。それでも石井さんの普及活動によって国立市、渋谷区には同好会ができ、群馬県でも教室が開かれている。「今はまだ障がい者を別にしている大会が多いけれど、『都民すぽれ区ふれあい大会』などでだんだんと一緒にやっていきたい。オリンピックのオープン競技を目指すのが今の私の生き甲斐です。」と語る石井さんの顔は輝いている。

※オープン競技:大会のプログラムに組まれているが、その大会の正式種目ではない競技。

練習に参加してみて
筆者も練習や試合に参加させてもらったが、「ユニカールは考えるスポーツだ」と石井さんが強調されていたのをすぐに実感できた。1投目、2投目と進むにつれて、次にどの位置に投げるか、チーム内で綿密な戦術を練らなければならない。慣れや疲れでストーンの方向は繊細に変わる。戦術通りに投げられたときは何とも快感だ。大会には親子3人で組んだチームもあった。ユニカールを通じて家族の一体感が強まるこの姿こそ、誰にでもできるユニカールの大きな魅力だろう。


石井功樹 プロフィール
1937年9月7日生まれ。公立中学校の体育教諭を経て、校長として約10年間務めた。定年退職後はユニカールの普及に努め、現在は東京都ユニカール協会会長。同協会は2014年東京都スポーツ功労団体に選ばれたほか、個人でも同年、日本レクリエーション協会よりレクリエーション運動普及振興功労者に選出された。併せて、日本ユニカール協会理事、杉並区ユニカール協会副会長を務める。


▼関連情報
東京都ユニカール協会(外部リンク)

第23回ユニカール親睦大会の様子(荻窪体育館)

第23回ユニカール親睦大会の様子(荻窪体育館)

杉並区ユニカール同好会の皆さん

杉並区ユニカール同好会の皆さん

DATA

  • 取材:廣畑七絵
  • 撮影:廣畑七絵
  • 掲載日:2015年05月11日