桑谷哲男さん

小学校での演劇鑑賞が照明家の出発点

舞台照明、という職業を目指すきっかけは何だったのだろう。伺ってみると、桑谷さんが舞台照明というものに強く心を動かされた記憶は、ごく子どもの頃にさかのぼる。
小学校の頃、当時僕は北海道にいたのですが、学校に劇団がやってきて演劇鑑賞をしたりしていました。終戦後の昭和30年頃、華々しいネオンなどがまだ数多くない時代のことです。お芝居を見ていると、学校の体育館だった場所が、ホリゾントの幕に映す光の力で、青い夜の風景になったり、明るい朝の陽ざしに変化してゆく様に、とても感動しました、美しいなあ、と。その時から、ずっと舞台照明というものに強く興味を引かれていましたねえ。常に将来への夢はありました、野球選手に憧れたり、国語の先生に憧れたりしながらね。でも、舞台照明という世界への思いは消えずに強く残っていたんですね。そして大学進学時には、照明プランナーという道に進むことをすでに決心していたのです。

チャンスを自らつかみ照明プランナーの道へ

舞台照明家、とは、舞台芸術を知らない者にとっては、聞き慣れない職業だが…。一体どのようなお仕事なのだろうか。

実際に本番で照明を操作するオペレーターと異なり、台本を読んだり稽古を見たりしながら、舞台のいろいろな場面を照明によって作り出すのですが、どんなタイミングでどんな色をどのぐらいの強さで出すのかなどを仕込み図(設計図のようなもの)を起こしてプランニングをするのが、主な仕事になります。

当時はオペーレーターの下積みを何年もした後でなければプランナー(照明家)という道はなかった。にもかかわらず、桑谷さんは、最初からこの照明家という職業を目指し、大学卒業と同時にプランナー宣言をする。これまでありえなかった道が拓けたのは、その行動力に鍵があった。

僕が学生時代、日生劇場にモスクワ芸術座が来日し、公演をしたことがあったんです。その素晴らしさは噂に聞き及んでいて、是非ともその公演が観たいのだけれども、なにせチケットは高額で、学生の僕が頻繁に見に行くことは難しい。そこで、「タダで見るのはどうしたらいいだろう」と考え、そこでバイトすればいいんだ!という考えに行きつきました。すぐに劇場に電話をして、舞台照明の勉強をしているんだけれども、バイトに使ってほしいと伝えたら、これがOKと。そうして日生劇場にもぐりこんでバイトをしながら、生の素晴らしい舞台を見ることができた。思えば、プロの照明家としての人生は、そこから始まったのでしょうねえ。

何のコネもなく、実際にそのような求人を募集しているのかも分からずに電話をしたそうだ。そうしてオペーレーターとしての仕事を学び、自由劇場時代から交流があった串田和美氏が主宰する劇団『電気亀・団』に参加。そこから本格的に照明家人生が始まっていく。

僕は昔から、小劇場やアングラと呼ばれるような前衛的な芝居がとても好きでしてね。新しいものや大胆な発想が好きなんですね。その姿勢は、人生にもつながっているのかもしれません。とにかく行動の基本形は、人の歩かない道を歩くことでした。

北海道の地に生まれ、幼少の頃から毎日のように北大農学部教授だったクラーク博士の写真と「Boys be ambicious」という言葉を眺めて過ごした。広大な土地に根付くパイオニア精神が桑谷さんには息づいているのだろう。

公共劇場の役割、地域との共生

舞台照明家としての顔を持つ一方で、コーディネーターや運営アドバイザーとして数々の劇場の立ち上げや運営に携わってきた桑谷さん。現在は、2009年5月オープンの杉並区立杉並芸術会館【座・高円寺】の支配人(※)として、忙しい毎日を送っている。オープンを控えた今、座・高円寺へどのような構想をお持ちなのだろうか。

座・高円寺は、僕が劇場の運営に関わることになって4つ目の劇場になるのですが、40年前、自由劇場時代にみんなで劇場を作った当時を思い出すんです。モノづくりの原点、というのでしょうか、志が劇場を作っていく、というのかな。演劇は、特別に何も新しいことをやっているわけでない。ずっと、われわれが若い頃も機運としてあった演劇改革の延長線上として今がある。同じ気持ちを持ち続けながら、さらに成熟させたものを作り出していこう、と思っています。座・高円寺では、新しい作品を年数本作っていく計画ですが、演じられて評価の高い上演を再演する「再演の劇場」という顔も持たせていきます。先日ふと思ったのは、高円寺という街は古着屋や古本屋が多い街、つまり再利用の価値が認められる街。そんな共通性があるのだなあ、と。
もう1つ、座・高円寺は公共劇場という役割があります。地域と劇場との関係性は無視できないもの。公共劇場には、常に「集客」の難しさという課題を抱えています。有名なキャストと有名な演目で一時的に集客できても、ふだん人が全く集まらないのでは成り立ちません。地域の方々との支援や連携がとても大切になってきます。この1年、高円寺の商店街の方々に、劇場オープンに伴うごあいさつに回っているのですが、街の方々が本当にとても温かいんですね。まちづくりに熱心で、一緒にやろうよ!と私たちを受け入れてくれる。とてもありがたいことです。座・高円寺が、観劇といった1つの目的だけでなく、ちょっと暇つぶしに遊びに行こうか、ついでに何か面白いことをしていたら覗いていこうか、というように町並みになじんでいってくれるといい、そしてそういう空間にしていくのが私たちの役目だと思っています。ぜひ、気軽に足を運んでいただきたいですね。

-初対面でも緊張させずに人を和ませる温和さと、子どものような好奇心旺盛な瞳を持つ桑谷さん。話していても、その人柄に引き込まれ、あっという間に時間が経っていた。5月にオープンするこの劇場が、一体どんなふうに高円寺の街と融和し共生していくのか、大いなる期待が膨らむ。

桑谷哲男 プロフィール
杉並区立杉並芸術会館「座・高円寺」支配人(※)。座・高円寺HP
1946年8月2日生れ、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 大学在学中に、日生劇場にて舞台照明家としてスタートし、その後69年に劇団「自由劇場」に参加。それ以後「黒色テント68/71」などに参加し、70年代の小劇場の照明デザインを手掛ける一方で、ダンス、オペラ、コンサートなどジャンルを越えてさまざまな照明デザインを行う。1983年に長野県県民文化会館の新設事業に携わって以来、1992年に世田谷パブリックシアターの建設準備および1996年財団発足には技術課長に就任、2002年には岐阜県の(財)可児(かに)市文化芸術振興財団・可児市文化創造センター館長就任など、舞台照明家だけにとどまらず、劇場アドバイザー、コーディネーターとしての顔も持つ多才ぶりだ。

※「支配人」の役職名は、2016年3月現在「館長」となっています。

DATA

  • 取材:野上優佳子
  • 撮影:チューニング・フォー・ザ・フューチャー
  • 掲載日:2009年04月08日
  • 再取材日:2016年03月31日

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