浅賀新平さん

ボード1枚あればどこまでも飛べるプロ・スノーボーダー

スノーボードの世界で活躍する浅賀新平さんは、杉並で生まれ育った生粋の杉並人。浅賀さんのTwitterにも善福寺川緑地公園の写真や杉並の友人・実家のことなど何度となく地元の話が登場している。そんな浅賀さんは、アマチュア大会優勝などの大会受賞歴を持ち、杉並を拠点に世界中を転戦するプロ・スノーボーダーだ。
仕事について、そしてふるさと杉並について、よく訪れるという桃井原っぱ公園でお話を伺った。

浅賀新平さん(写真:柳田健一朗)

浅賀新平さん(写真:柳田健一朗)

サッカー三昧の日々から運命を感じた高校入学まで

「この写真、本当にスノーボードを始めたときのものなんですよ」。開口一番、浅賀さんが指をさしたのは1998(平成10)年に撮った1枚の写真。なぜ雪のない杉並に住んでいて、スノーボードを始めたのだろうか。「4歳の頃から家族で年に1~2回、スキーに行っていたんです。この写真を撮った小学2年生のとき、父がスノーボードをやっている若い人を初めて見て、“あれはなんだ?”と言ったそうです。父は昔サーフィンをやっていたので、同じ横乗りのスノーボードに興味を持ったのでしょう。その日のうちに父と2人でスノーボードのスクールに入りました。1日目は悪天候で寒くて寒くて本当に嫌でした。でも父のほうが夢中になってしまって、ほとんど強制的に何度か連れて行かれました。そして、そのシーズンの最後には、僕もスノーボードが大好きになっていたんです。」
浅賀さんは、四宮小学校、井荻中学校に在学中ずっとサッカー部に所属していたので、スノーボードには年に数回しか行けなかった。「でも、小学校高学年のときに、プロのスノーボーダーになりたいと強く思ったんです。練馬にスノーボードのプロショップがあってよく行っていたのでその影響もあったと思います。高校からはもうサッカーをやめてプロになると決めていました。」そこで、北海道や、雪の多い場所でスノーボード部のある高校を探した。「ところが、そうこうしているうちに受験で全部落ちて、行くところがなくなって。でも本当に偶然、たまたまその年だけ二次募集があった駒澤大学高等学校に入学できたんです(※1)。通い始めてみると、学校のすぐそばに一年中営業している室内スノーボード施設があることがわかり、平日でも夏場でも練習できるようになりました。そのまま駒澤大学に進学して、アマチュア大会優勝とプロスノーボーダーが集まる春のジャンプイベントで最優秀選手賞を受賞したのをきっかけに19歳でプロになりました。」偶然が重なっただけでなく、強い気持ちを持って臨んだ高校での生活が、プロ・スノーボーダーとしての浅賀さんを育んだ。

※1 駒澤大学高等学校では、現在は二次募集は行われていない

スノーボード初体験時の浅賀新平さん(右上)とお父さん(中)、弟の徹哉さん(左下)(提供:浅賀新平さん)

スノーボード初体験時の浅賀新平さん(右上)とお父さん(中)、弟の徹哉さん(左下)(提供:浅賀新平さん)

みるみる上達した小学2年生の頃(提供:浅賀新平さん)

みるみる上達した小学2年生の頃(提供:浅賀新平さん)

競技はもちろん、「魅せる」のがプロ・スノーボーダー!

プロ・スノーボーダーとは、どのような職業なのだろうか。
「プロ・スノーボーダーは競技大会に出場したり、スポンサーと契約して支給された用具を実際に使ってプロモーション(広告・販売促進)をしたりします。また、カメラマンと、スポンサーや雑誌に掲載する写真の撮影、メディア露出するための動画の撮影、制作などを行っています。プロ・スノーボーダーの多くは、既存のスノーボードプロダクションに所属して活動することが多いのですが、僕は自分の出る作品は自分で演出したいのでプロダクションを自分で立ち上げました。」競技、制作だけでなく、スポンサー探しから交渉、契約、事務までもすべて浅賀さん自身が行っている。本当にさまざまな才能の持ち主だ。
スノーボードが他のスポーツと少し違うところは、大会に出場するだけではなく、「魅せる」部分が大きいことだと浅賀さんは言う。「滑りを観客に直に見せたり、映像を通して見せたりと、エンターテイメントとして表現で勝負する部分があるので、映像や写真が重要なんです。」
動画はYouTubeでの配信のほか、映画を制作して、上映イベントを行ったりサイトで販売したりと、視聴者に届けるところまでを手掛ける。浅賀さんにとってプロとして自身の魅力を発信することは非常に重要であり、決して手を抜くことはできないのだ。

▼関連情報
YouTube>THE DAY JAPAN(外部リンク)

アメリカのスキー場のパークジャンプを気持ちよく飛ぶ様子(写真:柳田健一朗)

アメリカのスキー場のパークジャンプを気持ちよく飛ぶ様子(写真:柳田健一朗)

ラーメンはスープ多めを特注!?

食欲旺盛なスポーツ少年だった浅賀さんは、小中学校時代から、友人たちと近所のラーメン屋に通い詰めていたそうだ。「しょうゆ味ならここ、家系ならここ、などジャンルごとにお気に入りの店が杉並中にあります。特に古くから付き合いのある店では、スープ多めなど特別な注文にも対応してもらったりしていました。好きすぎて、豚骨ラーメンを自分で作ったりもするんですよ」。高校生のときに初の豚骨ラーメン作りに挑戦したときは、「実家に豚骨のにおいが充満してしまって、母にとても怒られました。昔から、自分でやってみて、実際に肌で感じないと納得できない性格なんです。」

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 食>ラーメン>春木屋本店

小さい頃よく父親と行ったのは荻窪の春木屋本店(浅賀さん談)

小さい頃よく父親と行ったのは荻窪の春木屋本店(浅賀さん談)

ボード1枚で空へ駆け上がる!

スノーボードは特に若者に人気のスポーツだ。スノーボーダーである浅賀さんに若者に向けたメッセージをリクエストすると、少し考えてからこう言った。「僕は今、プロスノーボーダーとして新たなチャレンジを常にしています。前例がないので、どうすれば自分の信念のまま突き進めるのかと悩むこともあります。そういうときは、地球が生まれた瞬間のことを考えるようにしています。地球ができて、人間がこの世にいるというのは奇跡じゃないですか。そして自分がここに生きていることもまた奇跡であるなら、人がどう思うかなんて細かいことを悩まずに、自分が思うままに行動しよう、と思えます。」では、浅賀さんにとって、スノーボードの魅力とは何なのだろうか。「魅力はたくさんありますが、とにかく、このボード1枚あれば人間はいくらでも飛べるんです。もう、どこまでも飛べる。空中で一瞬無重力になるその感覚は、日常生活では絶対に味わえないです!」

<取材を終えて>
降り積もったばかりの雪原のように、まだ誰も踏み込んだことのない道を切り拓き続ける浅賀さん。その後ろに何人ものスノーボーダーが続く未来がしっかりと見える気がした。

浅賀新平 プロフィール
1990年5月7日生まれ。THE DAY JAPAN代表。
2009年、軽井沢ハーフパイプ優勝。2009年、尾瀬戸倉BIG KICKER SESSIONでMVPを受賞。大会はスロープスタイル(※2)を中心に主要大会に出場している。

※2 スロープスタイル:アイテムと呼ばれる障害物やジャンプ台が配置されたコースを滑り下り、技の完成度などを採点して順位を決定するスノーボード競技の一形態

陽気のいい季節、桃井原っぱ公園でよく瞑想をしているという浅賀さん

陽気のいい季節、桃井原っぱ公園でよく瞑想をしているという浅賀さん

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