すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『先輩が語る、50年前の杉五小と子どもたちの世界』
2.インタビュー内容
Q.50年前の卒業生ですが当時の風景はどのようでしたか
A.正門前の通りの様子が違います。文房具屋さんが両方の隣、寺島自転車屋さん、前に床屋さん、日大二高のほうへ行くと今のセブンイレブンのところにいろいろな商店が入っているマーケットがありました。 当時の学級は1クラス50人から55人いて5クラスでした。1学年に250人はいたと思います。 天沼中学が独立する前で、杉5小に同居していたので「じゃま中」と中学生を呼んでいました。 ちょうど小学3年のとき給食が始まり、脱脂粉乳、パン中心の給食でした、脱脂粉乳はまずくて、いつも食い足らないおなかぺこぺこ状態であったと記憶しています。
Q.当時の遊びは?
A.家に帰ると勉強しろといわれるので、帰るとカバンをそっと庭木の中に隠して遊びに行った。コマ回し、カンけり、メンコ、ベーゴマなどをした。 お小遣いをきちんともらった記憶はありません、何かほしいときは親に言うと10円ぐらいの駄菓子を買うお金をくれました。 新宿〜荻窪間の都電が3円、はがきが5円の時でした。 都電は「がいこつ電車」と呼んでいた。

浅倉さんが見せてくれた50年前の通信簿





<50年前の通信簿、卒業アルバムなどを持参していただきみんなに披露>
A.テレビが始まったのは小学5年生のとき、今の日大二高の方のセブンイレブンのあたりに当時空き地があって、そこで街頭テレビが設置され、子どもや大人が大勢集まり力道山のプロレスを観戦した。大変感動してみていたのを覚えています。
Q.今の小学生を見てどのように思いますか。
A.昔はかんきょうが整備されていなくて、まだ自然が一杯でした。今はかんきょうが変化して、自然、社会かんきょうを比較するとびっくりすることがあります。今の子どもを見て感じることは「えらく勉強をがんばっているな」と正直に思います。 勉強する学校のかんきょうも整っているので、昔の子どもにくらべて「うらやましい」と感じます。 先日、桃井第四小で開かれた杉並ユネスコ協会主催の国際理解の時間で「英語でしゃべる」子どもの学ぶ姿を見ました。 小さいのに英語でよくしゃべるのを見てびっくりした次第です。
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