【針田雅人さんの感想】
いまでも早稲田から箕輪まで路面電車が残っているが、当時、青梅街道を走っていた路面電車は、荻窪が終点だった。荻窪から築地や銀座、新橋まで走っていた。その路面電車がなくなって、トロリーバスが走った。それもいまはなくなった。当時、荻窪の駅も木造だった。いま荻窪団地など建っている南荻窪の方は、田んぼと畑が広がっていた。
アスファルトの道は少なく、土の道だったから、雨が降ると地面にしみこみ、下水に流れることがなかった。
だから川の水もきれいで、どこでも水が飲めたものだ。
お店の種類もいろいろあった。今はスーパーやコンビニに行けば、いろいろな商品を売っているが、昔は、お店ごとに違うものを売っていた。魚屋さん、八百屋さん、パン屋さんといった小さなお店がいっぱいあった。
そういうお店をやっている以外の家は、ほとんど農家だった。 そういう昔から住んでいる人たちは、大きな土地を持っていた。豪農というか庄屋さんなんかだ。
昔は校舎が木造だったし、教室の床も机もみんな木でできていた。昭和35年以降に鉄筋の校舎に建て替えられた。
テレビは登場したばかりで、よほどお金持ちでないかぎりテレビは持っていなかった。「街頭テレビ」というものがあり、みんな街頭でテレビを見ていた。その頃の楽しみは、マンガを読むくらいだった。でも、マンガだって高かったから、そんなにたくさんは買えなかった。冷蔵庫なども各家庭にはなかった。
情報源はテレビではなくラジオ中心だけだったけれど、それほど多くの情報は必要なかった。地域のことを知っていれば生活ができた。杉並の中だけで一生暮らしても不自由しなかった。 |