すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『二度とあってはならない戦争、その最中での子どもたちの暮らしとは‥』
2.インタビューの内容
 藤原さんが小学校1年生の時に戦争が始まり、4年生の8月に長野県に学童疎開をしました。その時、杉五小には、約千人の児童がいて、そのうち学童疎開をしたのは約450人でした。田舎に親戚のある家族の子どもは縁故疎開といい親戚の家で暮らしました。天沼に残る生徒も少なくなったので「戦時教習所」という名前で学校の近くの家を借りて勉強を続けました。江戸時代の寺子屋のようなものです。杉五小の校舎も兵隊の宿舎になってしまいました。疎開先では現地の小学校にかよったり、寮で勉強をしました。
 学童疎開では、お腹がすいて、とても苦しい思いをしたそうです。おやつは大豆を自分の年の数だけしか食べられなかった。また、すごす部屋は北風がふくのにかかわらず、北側は紙1枚の障子しかなったそうです。 それに暖房もなくて、ただ暖まれるのは、たったひとつのこたつだけだった。

戦争中のことで思い出すのは、学童疎開ですね。
もちろん、遊びもしましたよ。でも今とはまったくちがいますね。




 昔の遊びはベーゴマで遊んでいました。正月になると男の子はたこあげ、女の子は、はねつきをして遊んでいたそうです。 ベーゴマは、コマの周囲をギザギザに尖らせて勝負をしました。勝つと相手のコマをもらうことができ、たくさんコマを持っている子どもは仲間から尊敬されたものです。メンコもよくやりました。メンコには、当時人気のあったお相撲さんの写真などか印刷されていました。 戦後は野球に熱中しました。運動といえば野球くらいしかなかったこともあります。杉並の学校は昔から野球が強かったのです。毎日、暗くなるまで友だちと外で遊んだ。テレビでNHKの放送が始まったのは大学生の時でした。
 杉五小の校庭にある桜の木は昔もあったそうです。それに、昔、桜の木は何本もあったそうです。藤原さんは、これからも桜の木を大切にしてほしいと言っていました。 学童疎開をしたことを教えてもらったことが一番おどろき、心に残りました。
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