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| 『シェイクスピアの戯曲を"能"の手法で現代に蘇らせる鬼才演出家』 |
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| 一番印象に残ったのは、クライマックスの、オセローがイアーゴーの悪巧みに気付くシーン。やはり本を読んだときとでは迫力が違い、オセローの悔しさなどが伝わってきた。しかし透明感という点では、オープニングの死の世界のほうが印象的であった。あのシーンでは、青い、そして淡い色の照明が、未来でも過去でもない、浮遊しているような空間を作り、とても印象に残った。演じていた役者の人たちも、他の劇と比べると、いろいろ違う面があった。能狂言しか使わなかったのだから、相当な演技力とムードメイクの力がある。やはり本と演劇は違う。繰り返すが、迫力が違うし、自分が想像した本の中だけの世界より、演出家のほうが研究している。本の作家が考えたその背景に一番世界が近いのだろうし、自分と違う世界なのでフレッシュさもある。そういった意味でも感動は深まるばかりであった。 |
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同じ作品でも伝えたい"思い"、"考え"は演出家によってちがってきます。
この作品での私の"思い"、"考え”は……。
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この作品を見たあと、宮城聰さんにインタビューさせていただいた。まず彼が演出家になろうとしたきっかけを尋ねた。それは高校の時の演劇部が原点だそうである。次に彼が演劇に使う楽器などの、入手方法について話しをした。小道具は無論そのテーマによって作るらしいが、楽器は海外公演などの先で買うらしい。公演期間中でも演出家は、次の公演の材料を探すのに忙しいそうだ。確かに公演中、能仕立てながらボンゴなどの国際楽器がよく活躍していた。ストーリーについても質問した。
まず能狂言の活用について、次にストーリーのテーマについて聞かせていただいた。本来能などでは、主人公が孤独に死んでいくのがパターンであるが、この舞台では、孤独な死からくるつらい人生への後悔を単なるテーマにしない。この演出では、まさにこの孤独な死の後悔ではなく、この二人(オセロー、デズデモーナ)は理不尽にも殺されたけれど、二人は「世界の悪」を背負って生きてきたことに気が付く。一人で悪を背負って生きてきたのではなく、かけがえのない伴侶、二人が同じ宿命を背負っていた、孤独ではなかった、二人は同じ運命に翻弄されて死んでいく、そこに救いを求めるという演出にしたかったとのことでした。能の主人公は孤独に死んで幽霊になるという無念な死に方をテーマにしているが救いのすくない能演出方法を変え、救いのあるストーリーにしてオセローとデズデモーナの内面を描く、それを強調するため、この救いのなさそうな能狂言の手法を借りてこの舞台演出を作ったと教えてくださった。 |
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