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| 『徒手空拳で日本初のロケットエンジンを開発した技術者の物語』
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【長谷川陽一さんの感想】
僕は今回のインタビューでどんなことをやるか分からず不安でしたが、実際あまりすることがなく、安心していろいろ昔の杉並の事を聞けました。
垣見さんから聞いた話で一番印象に残ったのは、インタビューをした場所が、当時飛行機の発動機(戦争中は、英語が使えなかったためエンジンはこう呼ばれた)の工場があったことです。とてつもなく広
かったそうだったので杉並にもすごいものがあったんだなあと感心しました。
ペンシルロケットは実物を見せてもらいました。ペンシルといっても、長さは25cmほどで太さはリ
コーダーほどでした。とてもシンプルでしたが、その後、宇宙開発のルーツになってすごいなと思いま
した。なかなかできない貴重なインタビューができてよかったです。 |
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【田中誠明さんの感想】
日本で初めてのロケット開発を行った垣見さんの苦労を教えていただき大変参考になりました。特に印象的なのは、リーダーである糸川教授のきびしい熱意に応えるために、徹夜をいとわず仕事をされたこと、本当に命がけで危険な実験を実施されたことです。このような熱心に仕事をされる方々のおかげで、今の日本のすばらしい技術ができていることがわかりました。 |
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【垣見恒男さんの感想】
中学2年というと、そろそろ高校受験に備えて連日勉学に励んでいる年頃でしょう。夕方は一番眠く
なる時間帯だったと思います。約2時間、よく我慢してつきあってくれましたね。
富士精密の荻窪工場からはロケット以外にも「名車中の名車」と言われるスカイラインが生産されました。富士精密は社長でも専務でも部長・課長でも誰にでも「さん」づけで呼んでいました。それだけ、みんな親しいファミリー的な会社でした。
そんな雰囲気の会社だったからロケットのような「無から有を生ずる」仕事ができたのではないでしょうか。
東大でも生産技術研究所だったからロケット開発が成功したと言われています。本郷だったらできなかったとも言われています。
要は、よい人間関係ができていることが一番重要でしょうね。失敗しても、それを許してもらえる環境も大切な条件でしょうね。責任を他に転嫁しないことも重要です。最後に、座右の銘のように私が心がけていることを紹介します。それは「あ」で始まって「な」でおわる5つのことです。
1. あわてるな 2.あせるな 3.あたまにくるな 4.あきらめるな 5.あてにするな
ということです。
これからの長い人生では、色々な苦しいことが起こると思いますが、5つの「あな」を思い出してその壁を乗り越えてください。断崖絶壁に追い込まれた時に「本当のよい知恵」が生まれます。だから一番苦しい時を「チャンス」として活用してください。こうだから出来ない、ああだから出来ないと、出来ない理由を並べても物事は解決しません。壁を乗り越える知恵が必要です。出来ない理由だけを並べ立てる「ダメな大人」の真似だけはしないでください。
これからの日本を背負う人は貴方がた若い人達です。よりよい日本になるようにお願いします。 |
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