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| 『勝負に勝って初めて知る、"上には上がある"ことを。』
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3.将棋に興味を持ったきっかけ
小田切さんは小学1年生の時、腎臓を悪くして入院しました。 その時に看護師さんに将棋の駒の動かし方を教えてもらい、また別の病棟に将棋の強いおじさんがいることを知り、こっそり病室を抜け出しては、1か月ほど教えてもらったそうです。
このおじさんは足を骨折していたので小児科病室棟から外科病室棟にいき将棋の出張授業を受けたことになります。
小学4年生の時に碁会所の一角にある将棋教室に入り、工藤浩平先生の将棋教室の第一期生となりました。週に1回教えてもらい先生のご自宅にもお邪魔していたそうです。
中学2年生のとき、佐瀬勇次名誉9段の門下に入ったそうです。6級で関東奨励会に入会、プロを目指す特別な機関です。
今の僕と同じぐらいの年齢なので、すごいなと思いました。でも奨励会は厳しく、年齢制限もあります。
21歳までに初段、31歳までに4段にならないと退会しなければならなかったそうです。小田切さんは2級まで進むものの、退会されたそうです。 |
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私は、将棋に出会えて本当に良かったと思っているんですよ。
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4.小田切さんの中学生時代
小田切さんは中学生のころ、暗記が得意だったので、教科では歴史が得意だったそうです。「将棋が得意」イコール「数学が得意」なのかな? と思ったのですが、数学は普通だったそうです。
5.「週刊将棋」の記者の仕事
奨励会退会後、小田切さんは4年間、週刊将棋の記者を務めました。今から20年前のことなので、今のようにメールどころか宿泊所にFAXがなく、地方で戦うタイトル戦では手書きの原稿を間に合わせるためにポータブルファックスを持参したそうです。プロの将棋は午前1時、2時に終わることも多く印刷日前は大変だったそうです。小田切さんの主な仕事は、写真を撮ること、原稿を書くこと。週刊というサイクルなので週に3回も徹夜するハードな仕事だったけど、今思えば楽しかったそうです。その後はフリーの著作活動。将棋を中心に旅行ガイドなども手がけられたそうです。 |
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