すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『70歳現役の扇職人はアイデアとハイテクで勝負する』
2.職人の修行で学んだこと・得たこと>
 中学を卒業したらすぐ職人になることを決めていた。ふるさとの滋賀県甲賀郡信楽町多羅尾(現・甲賀市)から先輩職人を頼って上京、浅草の扇職人に弟子入りした。 浅草方面は芸事が盛んなところなので扇、扇子職人がたくさん住んでいました。 朝早くから夜遅くまで働いたが、仕事を教えてもらう立場なので、給料はなく小遣い銭程度を与えられ、住まいと食事だけは保証されるという生活です。 出るご飯も十分腹いっぱい食べるだけの量はなかったので、トイレにパンをかくしておいて空腹になるとトイレでかくれて食べたりした。 食べ盛り、育ち盛りの自分にとってつらい日々であったとのことです。
 能・狂言・舞踊などに使う扇を作る職人として技術を身に付ける修行を始めることになるのですが、扇を作る道具は20種類くらいしかない。道具が少ない分、手先の技術と勘が必要となる。 しかし、技術は理屈ではないから体で覚えるしかないのです。 親方に手際が悪いと怒られ何度も失敗をくり返す中で、技術を体にしみこませてゆく、失敗が多いほど覚える技術が増えることになります。 親方はお金のことを考えたら、早く技術と要領を教えて弟子が失敗しないように指導した方が得だが、それをやってしまうと、いつまでたっても技術は身につかない。 だから、たいていの親方は弟子には一切教えないことにしている。 失敗した時にはじめて少しアドバイスをしてあげる。

昔は奉公に入ると親方に新しい名前を付けられたんだ。
本名で呼ばれなくなるんだよ。嫌だったねえ。



 そのおかげで、いまでも小刀があれば身の周りのことが大体できる、一人で生きていくには何を身に付けないといけないのかよく分かった小僧時代でした。 小刀で切る、削る、穴を開ける…何でもできるから、竹のヒコーキなど小刀1本あれば作ることができる。 君たちの親が子どもの頃に、指にケガをしながら小刀の使い方を覚えた。 それと同じことだと言っていました。 内田さんは僕たちに「人として生きていくコツ」を勉強してほしいと思うと言ってくれました。
3.発明と特許
 地球上には46億人の人間がいて、同じようなこと(アイデア)を考える人が数百人もいるはずです。でも、せっかく考えたものは書類(形)にしないと他人は認めてくれない。 だから何か新しいことを思いついたら、特許を取るしかないと考えた。
 最初に特許を取ったのは昭和38年、27歳のときです、技術特許の申請書の書き方がわからなかったから、浅草で木版版画の刷り士の紹介で銀座にある弁理士井上清子特許事務所を訪ねました。 この弁理士さんは、日本で初めての女性弁理士でしたが、井上清子さんのお父さんが鍛冶屋職人でしたので職人さんには特別のおもいがあり内田さんを励ましてくれたそうです。
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