すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『日本音楽の伝統を支える、"日本人気質"のアメリカン』
2.パターソンさんと箏のこと
 どうして、箏、三味線に惹かれるようになったのか理由をきいてみました。
 アメリカ、イリノイ州シカゴの農家の子どもとして育った、アイオア州コーネル大学に在学中にジャズの好きな教授が箏を持っていた、聞いたことのない音色に惹かれて彼から箏を教わった。ピアノ演奏はやっていたが、同じ弦楽器なのに、箏は直接手で弦にさわって演奏するのがユニークで興味をもちました。 経営学を勉強していたのですが、箏を通じて日本にも興味を抱くようになり、大学2年の時に箏アンサンブル演奏旅行で初めて来日したのが、本格的な箏を習う動機でした。4年生の時に早稲田大学に留学して1年間滞在したので日本語は少し覚えることができました。一度帰国して社会人として働いていたのですが、 日本のことが分かり始めて興味も深まっていたことに気付き、 やはり日本で箏の勉強をしないといけないと思い立ち、文科省派遣の高校の英語教諭になって栃木県の高校で英語を教えながら、生田流の先生について本格的に箏を習い始めた。
 その後、京都に友人がいたので京都に住むことになった。 そこで沢井忠夫(注3)先生の弟子だった方に出会い、オーケストラのように合奏したりする沢井派の演奏に惹かれ、箏のイメージが大きく変わったそうです。沢井先生に直接習いたいと思い、上京。現在の住まいの近くに友人がいて、和田の一軒家の一階を借りて住むことにした。それ以来、もう14年も住んでいる。 沢井先生が主催する沢井箏曲院で沢井忠夫先生と奥さんの沢井一恵さんから学び、現在パターソンさんは、同院の教師であり、お弟子さんが十数人通ってくる。

初めて箏の音に触れたのは、アメリカの大学でアメリカ人の先生が弾く箏だったのです。



【編集部 注記】
注3.沢井忠夫(1937〜1997): 尺八家であった父の影響を受け、小学5年生の頃より箏曲を学ぶ。11才でNHKより初放送する。1959年 NHKの「今年のホープ」に選ばれる。以後NHKを中心に現代音楽を演奏し始める。海外でのコンサート活動も多く、芸術祭優秀賞を数度にわたって受賞。1979年には沢井箏曲院を創立し、後進の指導にも当たった。
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