すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『田んぼや川が遊び場だった〜下高井戸、今は昔の物語』
語り手:出川 木曽子さん
高井戸在住・方南・和泉地域集会施設運営協議会 会長

インタビュアー:佐竹 基治さん
向陽中学校2年生・男子

お話を聞いた日:2005年8月16日
1.昔の下高井戸には田園地帯が広がっていた
 僕は8月16日に永福和泉地域区民集会施設運営協議会会長の出川木曽子さんに、昔の東電グラウンド一帯と下高井戸運動場周辺についての話を聞きました。
 戦時中の東電グラウンド一帯には田んぼが広がっており、今僕が通っている向陽中学あたり一面も田んぼでした。また、今僕達が使っている遊歩道も、農業用水路でした。
 東電グラウンドのはずれには、神田川・かんな橋あたりに3畳ほどの水車小屋があり、そこでは田んぼの用水を使って玄米を白米に精米していました。その水車小屋の下流では、田んぼを利用して氷を作っていたそうです(冷凍庫なんてまだありませんから)。また、うなぎの養殖もしていた時代があるそうです。出川さんの記憶では、田んぼで作った氷なので、藁などが入っていたそうです。
 川や田んぼの遊びから帰ってくると、「手伝いなさい」と言われ、家で、一升瓶に入った玄米を竹の棒でしごいて精米したりもしていたそうです。 そのお米も、食糧不足のときは1日1合食べられればいい方だったそうです。
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