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| 『田んぼや川が遊び場だった〜下高井戸、今は昔の物語』
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【佐竹基治さんの感想】
気になったことの質問と調べたことを感想にしてみたのですが、終戦当時の井の頭線・永福町駅の写真を出川さんと一緒に見ました。
永福町駅に停車している1705型車両の行き先版に「渋谷⇔永福町」という風に書いてありました。
「車庫が無いのにどうして永福町までなのだろう」と思いました。
後で読んだ資料によると今の京王バスの「永福町車庫」はその昔、車両工場だったのですが、昭和20年5月24日25日の空襲で焼けてしまったそうです。
空襲で線路がだめになっていたということも考えられますが、永福町駅の写真では終着用ホームが写っていました。
当時は永福町の駅が今の富士見ヶ丘駅の役割を果たしていたのですね!
ちなみにその空襲で焼け残った車両はなんと2両だけで(当時井の頭線は一両編成だった)、神泉〜渋谷間のトンネル(今もありますよね)のなかで奇跡的に残ったのです。
その後、小田急線「世田谷代田」から井の頭線の線路に繋いで小田急線の車両10両が入って難を逃れました。
さらに小田急とともに東京急行(東急)と合併し、その後独立して京王線(当時は帝都線)と合併し今の京王があるということです。
もう一つは通っている向陽中学のことです。 向陽中が日本水産の厚生施設敷地跡であったことははじめて知りました。
中学の敷地内にクラブハウスを平成14年建設しましたが、建設地は旧石器時代から縄文時代の埋蔵物がありました。隣の下高井戸運動場も縄文時代の土器等が出土しています。
このあたりは古代人が、川で魚などの恵みを得ていたところだと思うと胸がわくわくしてきます。
向陽中では、クラブハウス建設の際出てきた粘土を信楽陶土と混ぜて陶器をつくりました、これがきっかけとなって陶器部ができて今も部活は続いています。
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【出川 木曽子さんの感想】
佐竹君とのインタビューのきっかけは、平成7年に下高井戸地域集会所で行った「地域フェアー写真展」の写真集でした。このイベントでは地元の方々が戦前戦後の写真を数多く提供してくださった、
提供された写真を地域マップに落として編集しましたので大変面白い試みだったのです。
これらの写真は大切に保管されていたので、身近に再度見ることができました。
そこでこの写真集の中から30枚程度を佐竹君に見ていただきながら、私の思い出を中心にインタビューをしていただいたというわけです。
昭和39年(1964年)の東京オリンピックの写真もありました。優勝したアベベ、円谷選手が懸命に走っている姿が映っています。甲州街道に住む者には忘れられないイベントでしたが、
ちょうどその頃から、下高井戸方面は、のどかな田んぼが住宅地に、車社会に急速に変貌して、胸に吸い込む空気がおいしくなくなったのを覚えています。 |
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