すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『田んぼや川が遊び場だった〜下高井戸、今は昔の物語』
出川さんは八人家族で食べ物が不足していたので、そういうものを食べて栄養をつけていたので良かったのですが、 都心の子供達は栄養が足りなくて青白い顔をしていたそうです。
 配給制の野菜も足りず、田んぼの近くのセリ、ナズナなどが生えていたのを食べたそうです。 今ではセリなんてあまり見かけなくなり、僕もどんな物なのかあまりよく見たことがありません。
 着ていたものは親の服をばらして作ったものや、木綿が無かったので人絹(じんけん:人造絹糸の略。 天然の絹糸を真似て作った化学繊維)や木の繊維を使って作った服で、肌を刺して痛かったそうです。
 戦後もここは畑や田んぼばかりで空気がきれいだったそうです。 しかし銀座に行くとその頃道路がまだ今のように舗装されていなかったので、砂ぼこりがひどくて、口の中がじゃりじゃりしていたそうです。 1964年の東京オリンピックの頃から、田んぼを埋めて住宅、アパートなどいろいろな建物が建ち始め、日本の発展期にさしかかった時代になって、空気もだんだんよごれてきた。 元は田んぼだった土地なので、今の向陽中を建てる時も倒れないか心配だったそうです。 そのため向陽中の基礎はかなり深くまで掘ってあるということです。




 僕がこの話を聞いて思ったことは、「昔はきれいだった所なのに、いろいろと変わってしまって、棲んでいる動物も変わってきた」ということです。 僕もドジョウを捕ったり鰻を捕って丸焼きにしたりして食べてみたいなぁと思いましたが、神田川は既にコンクリートで固められてしまったし、 今神田川にいるのは鯉とナマズだけです(井の頭公園まで行かないとザリガニもいません)。なんかとても惜しいです。

《編集部 注記》
(注1) 日水園について編集部が調べた結果は下記の通りです。なお、調査には日本水産株式会社様のご協力を頂きました。

 1942年、日水園という日本水産の厚生施設(野球場・テニス・バスケット)錬成道場(剣道・柔道)が開園された。 1945年、捕鯨部・船舶部事務所設置、戦争中には、一部農園として利用された。 1957年から10年間、研究所施設併設。 日水園他用地8600坪を杉並区に売却し、この用地が、現在の下高井戸区民集会施設・下高井戸運動場・向陽中学になっています。
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