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| 『田んぼや川が遊び場だった〜下高井戸、今は昔の物語』
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昭和20年3月10日の東京大空襲では日水園(日本水産の建物 注1)が軍事施設と間違えられて、たくさんの焼夷弾が落とされましたが、ほとんどの焼夷弾は木に引っかかってしまい、その焼夷弾から、たくさんの火花がまるで花火の様に散っていたそうです。
また、当時の田んぼ(今の東電グランド)にも落ちて下高井戸駅の方から逃げてきた人が大火傷をし、リヤカーに積んできた家財も焼いてしまったそうです。
疎開から帰ってきたばかりの出川さんは、灯火管制で真っ暗闇の中で光る焼夷弾に思わず「きれいだなあ」と、言ってしまって避難してきた人にとても怒られたそうです。しかし、その焼夷弾の破片を使って遊んだりもしたそうです。
(どのように遊んでいたのでしょうか?少し気になります。)
気候も今とは違って11月にはもうオーバーを着ないと寒くて外に出る事ができなかったそうです。
あぜ道には霜枯れた草、霜柱、薄氷の張ったくぼみを見ながら歩く、冬の寒さが厳しかったので、田んぼにできた氷の上を下駄スケートで遊ぶこともあったそうです。 |
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昔は”ウナギ”が捕れたし、ホタルもたくさんいたのです。
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2.時代とともに風景は変わり、川も消えてしまった‥
遊びも今とかなり違います。 僕は普段友達と野球をやったり、パソコンをいじったりしていますが、出川さんが中学生だった頃は、神田川で泳いだり(今、神田川に降りたりすると危ないです)、鬼ごっこをしたりしていたそうです。
でも、玉川上水(現在の上水公園)にはおっかない監視員がいて、泳いだりするのが見つかるとこっぴどく叱られたそうです。
今とは違って女子も男子もパンツ一枚で平気だったそうです。
そして川にも色々な生物がいて、竹に糸をつけた簡単な釣竿でフナを釣ったり、ドジョウにタニシ・なまずを捕まえたり、ザリガニをバケツいっぱいに捕ってきて、食べたりもしたそうです。
出川さん曰く「エビみたいな味がして美味しいのよ」とのことです。また鰻を竹で作った罠(図)で捕まえて丸焼きにして食べたそうです。
他に蛇を食べた人もいたそうですが、出川さんは食べたことはないそうです。
この頃はまだ田んぼ用水、神田川とも、6月頃は蛍が飛んでいて夕方になると蛍とりを楽しんでいました。 |
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