すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『日本を知らないで国際化ができますか? 〜若者に自立の意味を問う』
2.戦後
 加美山さんは、戦後すぐに横浜正金銀行(後、東京銀行から現東京三菱銀行になる)に復職し、愛知用水の事業資金を調達するために世界銀行からの借款交渉に渡米した、(注1) また国際銀行団の要人と日本の復興資金を調達するための交渉などを通じて数多くの日本とアメリカを中心とする有能な人々と巡り会った。 (注2)
 この人たちのご縁でその後、加美山さんの国際ボランティア活動人生が始まることになる。
3.ロータリークラブ
 東銀ニューヨーク支店、サンパウロ支店に勤務していた時、ロータリークラブに加入したそうです。 ロータリークラブというのはビジネス倫理の追究と福祉・チャリティーへの支援を目的とする団体で、世界中にその輪は広がっています。 関東大震災のとき、海外から最も援助してくれた機関はこのロータリークラブでした。 このロータリークラブの精神は社会正義をビジネスの中で貫くこと、社会事業に寄与することなどを行うクラブだそうで、1905年のシカゴ不況のとき、事業家の社会モラルが下がったとき提唱された活動とのことでした。

もし、出張でなかったら、私は原爆で死んでいたんです。



4.ボランティア活動
 日本と外国でのロータリークラブ、ロータリー米山奨学財団(副理事長)の活動から繋がった人のご縁から、日本YMCA(元理事長)、ICUと大学基金、日本キリスト教奉仕団、日本聾話学校(理事)、NPO法人 スペシャルオリンピックス日本(副理事長)など数々の理事をなさり、 ボランティア活動の中でも特に、資金集めなど財務の方に携わることが多い人生であった。
 長崎の原爆の難を逃れた運命の行く末が、ボランティアを通して、国際的な人道支援につながる活動なさっていると感じました。運命の不思議なめぐりあわせです。
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