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| 『日本を知らないで国際化ができますか? 〜若者に自立の意味を問う』
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語り手:加美山 節さん
高井戸在住・東京北ロータリークラブ会員 NPO法人スペシャルオリンピックス日本 副理事長 他
インタビュアー:朝日 いつかさん(ペンネーム)
日大第二高校2年・女子
お話を聞いた日:2005年8月25日
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1.戦時中
加美山さんが大学に入学した年に開戦となり、その後繰上げ卒業し、社会に出たときの日本は戦争真只中。もう日本が戦争に負けるのは目に見えていたので、どうやって日本が上手に負けるか、と自分でも考えていたそうです。
海軍に入り佐世保海軍工廠の海軍主計科士官(経理や財務管理)として、また1945年8月9日、原爆が落ちた日には、長崎で勤務していた。加美山さんは、本当は爆心地にあった地下兵器工場の落成式の司会をするはずだったが、 急遽、その日の午前8時50分発の汽車で熊本県にある航空機製作所へ物資確保のための出張命令を受け出発しました。 11時過ぎ、熊本に向かう汽車の中で後ろの方からドーンという爆音が聞こえたが、それがあんなにも大きな被害だとは知る由もなく、翌日長崎に戻りました。
帰路の途中、汽車が二つ手前の駅までしか動いてなかったので、そこからは徒歩で勤務地に向かいました。
あちこちに死体が転がっていてとても悲惨な状態でした。それ以来、毎日のように爆心地を往復して復旧作業に当たりましたが、長崎の街は瓦礫と化し、50人余りの上司、同僚、関係者は皆亡くなっていたそうです。
運命を感じ、生きながらえた加美山さんは、横浜正金銀行に戦後直ちに復職し、国際金融畑の仕事をしながら、内外のボランティア活動を務めることになる。 |
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