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| 『母から子へ、そして孫へ。"のれん"を作り、育て、守る』
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2.脱サラしてお店を引き継ぐ
志村さんは、大学を卒業した後、御徒町の小さな町工場に勤め、さらに王子にあったコーラル音響というオーディオの専門メーカーに勤めました。
マニア向けのスピーカーなど優秀な製品をつくる会社だったが、いまはないそうです。
昭和39年、会社を辞めてお母さんからお店を引き継ぎ中華料理専門店として再出発することになった。当時、ラーメンは1杯50円だったそうです。
お金のない学生のために提供した、ねぎと海苔だけの「学生ラーメン」は一杯25円にしたので好評で、今でも懐かしい思いで食べに来るお客様がいるそうです。
安くておいしいラーメンは学生にはうれしいと思います。 そして昭和60(1985)年、ビルを建て直した際に、虎ノ門にある有名な中華料理の店で修行をした息子さんに店を譲り65歳になったのを機に、引退したそうです。
息子さんは研究熱心で毎月新メニューを開発したり、 杉並区が提唱している「ヘルシーメニュー」にも対応しようと保健所の職員の方に来てもらいカロリー計算等をしていただき、そのメニューも提供しているそうです。 |
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息子さんの指導で、ラーメンをつくる山科さん。
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【山科 好一さんの感想】
私も実際に厨房(ちゅうぼう=料理するところ)に入れてもらい、ラーメンの作り方を教えてもらいました。
初めておおきな釜で麺をゆでましたが、湯気がすごくて厨房はとても暑かった。
1日に何十食もつくるのはすごく大変だと思いました。
自分で作ったラーメンは結構おいしかったです。
特に秘伝のスープがとてもおいしかったです。
技術と経験とお店の歴史がおいしいスープを作るのだと思いました。 |
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