1.お母さんがお店を開くまで
私は、ラーメン屋さんに興味がありましたので、杉並保健所のお世話で「しむら」さんにインタビューをしました。
志村孟一さんの生まれは大田区蒲田で、糀谷(こうじや)小学校に通っていたが、戦争が激しくなり、千葉の親戚を頼って縁故疎開をして無事に過ごしました。
しかし生活していた蒲田は工場地帯だったので、激しい空襲を受け、学校も全焼しました。
「どうせ死ぬなら家族一緒がいい」とお母さんが言うので、小学2年生の時、お母さんの実家のあった浜田山に引っ越した。そして昭和20年8月、小学4年生で終戦を迎えました。
浜田山は大きな被害はなかったが、夜、空を見上げると、アメリカの飛行機に向けて高射砲(こうしゃほう)で攻撃しているのを見た記憶があるとのことでした。
終戦当時は浜田山周辺の多くの学校が戦禍(せんか)にあい、閉鎖されていたので高千穂学園の小学校に転入しそのまま、中学・高校と進学し、専修大学を卒業した。
中学から大学までスポーツは柔道をやった。
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