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| 『ぼくの"たけの子くらぶ"のおじさんの話』
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2.執行さんの子どものときの思い出
「月が出た出た、月が出たヨイヨイ」といううたがあります。ぼくは盆おどりのうただと
思っていました。ほんとうは「たんこうぶし(炭坑節)」というそうです。むかしセキタン(石炭)をほる人たちがうたったそうです。
ぼくはセキタンを見たことがありません。
まっくろな色をした、もえる石だと聞きました。
執行さんは、たんこうぶしがうたわれた三池炭坑の近くの福岡県大牟田市で1935年に生まれました。家の裏の山やめのまえの海でいろいろな遊びをしたそうです。
小学校は2キロもはなれたところにあって、毎日の行きかえりが遊び場だったそうです。
学校へはクツをはかずにはだしで通ったと聞いて、お金がなかったのかなと思ったけど、みんなそうだったといいます。
大変な時代だったんだと思いました。 |
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お店のおかしが、どんどんすくなくなって、どうしたのかなと思ったよ。
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執行さんは、とてもおじいちゃんにかわいがわられたそうです。おじいちゃんは甘いものがすきで、いつもひきだしには、チョコレートやキャンデーが入っていて、ときどきだまって食べたりしたそうです。
でも、いつのまにか、駅のじどうはんばいき(自動販売機※)がなくなり、ばいてん(売店)から甘いものが消えていきました。
戦争がはじまろうとしていたのです。
おかしがぜんぜんないなんて、ぼくには考えられないけど、そうなったらいやだなと思いました。
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