すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『ぼくの"たけの子くらぶ"のおじさんの話』
2.執行さんの子どものときの思い出
「月が出た出た、月が出たヨイヨイ」といううたがあります。ぼくは盆おどりのうただと 思っていました。ほんとうは「たんこうぶし(炭坑節)」というそうです。むかしセキタン(石炭)をほる人たちがうたったそうです。 ぼくはセキタンを見たことがありません。 まっくろな色をした、もえる石だと聞きました。
 執行さんは、たんこうぶしがうたわれた三池炭坑の近くの福岡県大牟田市で1935年に生まれました。家の裏の山やめのまえの海でいろいろな遊びをしたそうです。 小学校は2キロもはなれたところにあって、毎日の行きかえりが遊び場だったそうです。 学校へはクツをはかずにはだしで通ったと聞いて、お金がなかったのかなと思ったけど、みんなそうだったといいます。 大変な時代だったんだと思いました。

お店のおかしが、どんどんすくなくなって、どうしたのかなと思ったよ。


 執行さんは、とてもおじいちゃんにかわいがわられたそうです。おじいちゃんは甘いものがすきで、いつもひきだしには、チョコレートやキャンデーが入っていて、ときどきだまって食べたりしたそうです。 でも、いつのまにか、駅のじどうはんばいき(自動販売機※)がなくなり、ばいてん(売店)から甘いものが消えていきました。 戦争がはじまろうとしていたのです。 おかしがぜんぜんないなんて、ぼくには考えられないけど、そうなったらいやだなと思いました。

1ページ目 | 2ページ目 | 3ページ目