すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『何もなかった、空腹だけを抱えていた〜戦中、戦後の暮らしと生活』
(4)昭和23年の母子手帳
 妹の母子手帳にはバター、乳児用衣料、石鹸、牛肉などの切符交換券、物品購入券交付の記載がある。
(5)靖国神社からの通知書
 お母さんの弟2人(蜂巣さんの叔父さん)は、戦争中、潜水艦にのっていた。東南アジアの海で2人とも亡くなった。海で亡くなったから遺骨もなく、お墓には何も入っていない。
 戦争が終わって10年も過ぎた昭和30(1955)年、叔父さんたちのたった一人の親族だったお母さんのところへ、靖国神社の宮司さんから、靖国神社に祭られという手紙がきた。
当時の資料を眺めながら質問に答える蜂巣さん。

3.戦争中、戦後の暮らしを尋ねる
Q:戦争中一番大変だった、つらかったことは何ですか?
A:戦争中は貧しくてお腹がすいていました。もし、お金があっても買うものはありません。米に麦または、外米が混ざったもの、乾パンやすいとん(塩味)などほとんど同じものを食べていました。 おかずはありません。すべて塩味で調理されていました。 疎開先は、叔父さんの家だったけれど、お母さんと離れて生活するのはさびしかった。 おばあさんがメソメソするなとなぐさめてくれ、寝るときはおばあさんと一緒だった。 そのおばあさんが中学3年生の時になくなり、とてもショックだった。 群馬の田舎での葬式のとき、まだ当時は土葬(どそう)だったので、おばあさんの入った棺桶に土をかけてお別れすることになったが、辛くて土をかけるなんてできなかった。
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