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| 『何もなかった、空腹だけを抱えていた〜戦中、戦後の暮らしと生活』
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2.当日持ってきた蜂巣さんの資料 (1)通信簿
群馬県豊秋村豊秋国民学校の1年生のころの通信簿をみると、いまと少し教科が違う。国語、算数、理科などは同じだが、道徳は「修身」といったし、体育ではなく「体操」、「武道」も習った。歴史は日本の国だけの「国史」だった。成績も良い方から順に優・良・可・不可となっている。
通信簿の成績評価は、4年生になると優・良・可から「A、B、C」の3段階評価に変わり、5年生になると「+2、+1、0、−1、−2」の5段階になった。通信簿には当時の標準体格がのっている。昭和11(1936)年の14歳(中学2年生)をみると、身長144.8センチ、体重37.2キログラム、胸囲70.2センチとなっている。
食べるものが少なかったので体重が少ない。 |
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当時の思い出や記録をまとめた蜂巣さんのメモ
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(2)戦争中のはがきと切手
戦争前後の頃から現在までのハガキや切手を残している。昭和19(1944)年のハガキをみると現在の3分の2くらいの大きさしかない。戦争で日本は食べ物だけでなく、生活物資も乏しくなっていたことがわかる。
戦争中の切手は「神風特攻隊」や「戦艦」の図柄になり、戦後の切手には絵も写真もなく数字だけが並んでいる。
裏には糊もついていない、1枚1枚ハサミで切り離して使った。
(3)戦中のお母さんの家計簿
昭和18(1943)年の蜂巣家の家計簿をみると、米15キロ4円65銭(1円の100分の1が1銭)、味噌400グラム40銭、牛肉(30グラム)48銭、卵(2個)2円47銭、果物(3個)33銭、石鹸(1個)83銭、新聞(1ヶ月)1円20銭、薪炭2円47銭、ビール(2本)1円78銭、電気代(1月分)2円48銭なんて数字が並んでいて、当時の物価がわかる。 |
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