すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『東京に沖縄の商店街を! 〜人生前向きがモットーの理容室店主が大奮闘』
今泉章さん 語り手:今泉章さん(和泉明店街 副会長)
盾Q2年生まれ・杉並区和泉在住

インタビュアー:志田彩香さん
和泉中学校3年生・女子

お話を聞いた日:2005年7月25日

1.茨城の中学生のころ

今泉さんは1947年生まれで、中学時代は1クラスに60人も生徒がいて教室が足りないくらいのころで、いま「団塊の世代」と呼ばれている人たちの世代だそうです。教室の一番後ろまで机と椅子がびっしりと入っていたといいます。


中学3年生に秋くらいになると、だんだんと進学組と就職組とに分かれていきました。進学組は進学するための受験勉強を、就職組は社会に出て行くための勉強をしたそうです。その当時、地方の中学生の進学率は50 %と、とても低かったのです。そして就職する中学生は「金の卵」と呼ばれていました。東京から会社の人が学校を訪ね歩き、「一人でも多く中学卒業生を私たちの企業にお世話してください」と担任の先生にお願いする時代だったので、金の卵といったわけです。また「集団就職」という言葉も流行した時代です。なぜなら、給料も安く済み、よく働く年齢だったからです。そのために会社が中学卒業生を欲しがっていたそうです。

1ページ目 | 2ページ目 | 3ページ目 | 4ページ目