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1.茨城の中学生のころ
今泉さんは1947年生まれで、中学時代は1クラスに60人も生徒がいて教室が足りないくらいのころで、いま「団塊の世代」と呼ばれている人たちの世代だそうです。教室の一番後ろまで机と椅子がびっしりと入っていたといいます。
中学3年生に秋くらいになると、だんだんと進学組と就職組とに分かれていきました。進学組は進学するための受験勉強を、就職組は社会に出て行くための勉強をしたそうです。その当時、地方の中学生の進学率は50
%と、とても低かったのです。そして就職する中学生は「金の卵」と呼ばれていました。東京から会社の人が学校を訪ね歩き、「一人でも多く中学卒業生を私たちの企業にお世話してください」と担任の先生にお願いする時代だったので、金の卵といったわけです。また「集団就職」という言葉も流行した時代です。なぜなら、給料も安く済み、よく働く年齢だったからです。そのために会社が中学卒業生を欲しがっていたそうです。
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