すぎなみ学倶楽部 特設コンテンツ
ぼくたち、私たちが聞いた すぎなみ人 とっておき物語
えらんでね
仕事 私が「この道」を選んだ理由
転機:私の生き方を変えた、あの時
世界:世界へ視野を広げると見えてくるもの
人生:今の私につながる、ちょっと苦い思い出
社会:人とつながる、地域に生きることの意味
歴史:遠い昔の杉並のお話
特別編・杉並第五小学校 インタビュー名人になろう
全インタビュー一覧
『東京に沖縄の商店街を! 〜人生前向きがモットーの理容室店主が大奮闘』
2.理容師の修行

中学を卒業して、理容技術を身に付けたいと思い、東京の大田区蒲田にある叔父さんが経営する理容室で修行することになりました。叔父さんの下での修行時代には良い経験をたくさんしたそうです。四畳半の部屋に住み込んで働きました。そして、そこでの仲間3人との共同生活で人生を学んだそうです。月給というよりも、お小遣いに近い感覚でお金を受け取っていたそうです。三食食べさせてもらい、理容学校の通信教育の費用も出してもらって、当時のお金で 2000円〜3000円いただいたそうです。当時はラーメンが70円で食べられる時代でした。また、当時、サラリーマンの月給が2、3万円くらいで、散髪代は240円くらいでした。当時は、どの仕事もそうですが、とても大忙しだったそうです。

そして、23歳の時、今泉さんは技術の腕をもっと上げたいと考え、ほかの店で働いた後、29歳で独立し、自分の店を持ちました。
修行時代の思い出を語る 「映画で東京に憧れてね・・」
修業時代の思い出を語る今泉さん

3.独立の準備期間
蒲田の叔父さんの店で働いていた時に奥さんと知り合い結婚しましたが、結婚式は後でゆっくりしました。二人とも、将来は独立して自分たちの理容室を持ちたいと考えていたので、共通の夢を実現させるためにこつこつと働き、お金を貯めたそうです。人生の基盤を作るためには夫婦が協力し合い、お互いに我慢することが大切と今泉さんはいいます。

1977年、現在の場所に念願の理容室を開きました。子どもが生まれる予定だったので、そばに公園があり、しかも商店街の中にあるお店が欲しいと考えていたら、運良く今の場所が見つかり喜んだそうです。そして、すぐに商店街の人たちと気安くお付き合いをするようになり、和泉明店街の仕事もするようになったそうです。自分の方から積極的に人と接することで付き合いが広がるというのが、今泉さんの考えです。
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