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| 『情けは人のためにある〜極寒のソ連で知った人の気持ちの暖かさ〜』
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3.帰国後テーラー(仕立屋)を開く
実家は農家だったので、戦争中に米を多く出したごほうびにもらった、キャラコという生地がたくさんありました。それに
ミシンとYシャツの型紙があったのでキャラコでYシャツを作りました。自分でつくったYシャツをみんなが欲しがり、たのま
れてつくってやっているうちに、この作業が楽しくなり、姉の「お前は仕立屋にはなれない」という言葉に反発し、仕立屋
への道を歩み始めました。
家の近くにある洋服屋に弟子入りし、2年間で修行を終えました。東京に出て、渋谷の店で働くようになりましたが、仕
事が少なかったのでダブルという難しい縫い方に挑戦し成功したそうです。その後コンテストで特選をとり、店を開くこと
を考えました。店を開くために裁断の勉強をし、免許をとった後、今住んでいる和泉に店を開きました。従業員は、働きも
ので助かったそうです。
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絵は独学で覚えたという久保田さん。風景画、人物画・・・モチーフは多種多様。 |
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4.テーラーを辞めた時
久保田さんは60歳になったら商売を辞め、好きなように暮らしていこうと考えていたそうです。しかし、辞められなかったそうです。しかし、幸運にも(?)平成7年に、テーラーに最も大事な右手の人指し指を自分の不注意で窓サッシに挟み切断してしまいました。それをきっかけに久保田さんは仕事をきっぱりと辞めたそうです。ちょうど良かったと言っていました。
今は、絵を描くことが趣味だそうで、部屋には、自分で描いた、たくさんの絵がかざってありました。
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