 |
| 『情けは人のためにある〜極寒のソ連で知った人の気持ちの暖かさ〜』
|
 |
 |
語り手:久保田利雄さん
昭和2年生れ・杉並区和泉1丁目在住
インタビュアー:松岡洋介さん
和泉中学校3年生・男子
お話を聞いた日:2005年7月24日
|
 |
1.満州での生活
久保田さんは、新潟県の燕の出身ですが、14歳の時に親の反対を押し切って満蒙開拓青年義勇運に志願しました。満州(現・中国東北部)の広大な土地に憧れたそうです。北満のジャムスの近くの追分訓練所というところで農地開拓と軍事教育をうけていました。
渡満した昭和17年は連日の降雨で大洪水が起きて鉄道が流され食料輸送が止まり、食糧がなかったので、しょうがなく草を食べ、栄養失調になりました。多くの者がアメーバ赤痢にかかり、1日に40〜50回位トイレに行ったそうです。でも、幹部の検閲があったので、家への手紙に本当のことを書けませんでした。「満州はよいところです。毎日楽しくくらしています」と書かないと、いけなかったそうです。
その後、ソ連と戦いました。伝令として馬に乗り戦場を駆け巡っていたそうです。兵隊が地面の中のタコつぼに爆弾を抱えて入り、敵の戦車が来たらキャタピラに飛び込むという自爆作戦も見たそうです。また、大きなソ連の戦車を見て、「これじゃあ、勝てない」と思ったそうです。
ソ連軍から逃げる時は悲惨でした。軍事教練を受けていない人は、逃げるのが下手でほとんど死んだそうです。逃げる途中で死体の山を見たそうです。また、8月の満州は、ハエがとても多いので死体はすぐに骨になったそうです。そして、8月18日に日本の敗戦を知り、ソ連がきて武装解除され、その後シベリヤに連れて行かれ3年半の抑留生活を送ることになりました。
|
 |
| 1ページ目 | 2ページ目 | 3ページ目 | 4ページ目
|
 |